クルド人難民問題(question:1106111808)

法務省入国管理局は『UNHCRとは難民の解釈や認定の目的も違う。手続き過程で虚偽の申請もあり、送還が相当と判断した』としている。(今回の事件を報じたニュース記事(時間で消える可能性があります)→http://www.asahi.com/national/update/0118/040.html

  • こういうコメントを紹介した記事を見る度にイラっとくる。注意したいが、それは別に「法務省に人情味がない」とかそういうことではない。官僚に人間味があったら、それはそれで困るのである。官僚は「手続き」に従って仕事をしているわけで、問題はその「手続き」を決めた側にあり官僚にあるわけではないことはハッキリしている。なのに問題が官僚にあるかのごとく官僚にコメントを求めるマスコミに腹が立つのだ。
  • どうして(「難民認定」という日本の政治風土に絡む問題としてでも、あるいは「今回の事件」というあきらかに政治的な思惑が絡む問題にしても)この件に関する「直接の抵抗勢力」を探り出し、それに対してコメントを求めようとしないのか。あるいは、しないで済む(記事が書ける)と思えるのか。
  • 要するにマスコミは、いまどきTVや新聞を見るのはどうせ馬鹿な国民だと思っているということなのだろう。馬鹿にあわせたレベルで記事を書いておけば、上にも下にも無難で新聞も売れるワイと喜んでいるのだろう。それが見えて腹が立つのだ。新聞の購読数が低下しているというが、人々を「その新聞すら読まない愚民」や、あるいは「新聞を信用しなくなった元購読者」を育てたのは新聞自身だという自覚を、まず持ってもらいたい。これはマスコミの自殺である。
  • クルド人難民それ自体については自分の知識が不足しているので、正直十分な意見表明はできない。「クルド人」が自立を求めて闘ってきた歴史は上記ページなどで理解したが、今回の件が妥当なのかどうなのか(そもそもどうして逃れる先として、トルコ政府といわばツーカーな日本を選ばねばならなかったのかということも含めて……分かっていて来たのだとしたら、それはリスク込みのギャンブルであったはずなので)なんとも言えない。
  • たとえば意地悪く解釈すると、人通りの多い路上に花を植えて、忙しいサラリーマンが花を踏んだのを声高に叫びたてるような行為かもしれない。「彼は花を踏んだ!なんて心が狭いのだ!」……いや、そりゃ踏むだろう。サラリーマンがそれで恥じ入ったとしたらそれはそれで彼にとっては素晴らしい話かもしれないが、私がサラリーマンなら、それは踏む。悪いけど踏む。花を救うことと、道を歩くことはやはり別にして欲しい。そうとれるかもしれない。
  • しかし、もちろん国連組織が難民認定したのだとしたら、今回のケースは「人通りの多い路上」でもないしサラリーマンは注意深く避けられたはずだということになるのだろう。とすれば、どうして花を踏まなくてはならなかったのかそれが問われなくてはならないはずだ。その場合、明らかに「足」に質問しても無意味だ、とそういう話。新聞報道は、「頭に聞いたら『踏んだのは足だから、足に聞け』って言われたので足に聞いたら『踏むのは当たり前だろ』って言いました。足ってひどいヤツですね。」といってるわけだ。ホント馬鹿か?