はてな人力検索の未来は?

  • 人口の漸増に伴い、従来のような「カテゴリーの無い『質問一覧』リンクボタンがページの最上段にあり、ジャンルの垣根のない質問を見るのがデフォルト……そしてそこで起こっていることは多くの質問者/回答者の目に入り、それを基盤とした一種の緩やかなコミュニティが成立している」……という《牧歌的はてな》の時代はもはや過ぎ去ろうとしているのではないか?と主張するaya-no-suke氏が突きつけているのは「意見」ではなく、必然的に訪れるそういう一つの「事実」なんじゃないでしょうか。

その意味で、そういう《牧歌的はてな》に多大な期待を寄せているid:TomCat氏がこれに強く反発する気持ちもよくわかりますが、しかし「意見」に反発することには意味があっても「事実」(だとしたらそれ)に反発することに意味があるでしょうか?

  • 今のところ「それ(人口増に伴う質的変化の必要性)が事実である」というのは一種の仮定に過ぎません。しかし、このまま人力検索の人口が増加したとき、id:aya-no-suke氏の言う《混乱はてな》(そして《カテゴライズドはてな》へ?)の時代が訪れるのか、それともid:TomCat氏の言う《牧歌的ユートピアはてな》の時代が訪れるのか……。それはほぼ明白じゃないでしょうか。
  • id:TomCat氏の言う「ユートピア」を実現する方法はないわけではありません。たとえば「はてな入会に際しては、TomCat氏と一時間以上はてなのあり方についてディスカッションすること」という条件を付けることですね(苦笑)。しかし、これはもちろんある種の「排除の論理/構造」です。この地上では「排除の論理/構造」無しにユートピアは実現し得ないと私は思っています。*1そして私は、はてなはてなで有り続けるためには、以前某氏との対話に於いて触れたように『寛容の精神』こそが必要なのであり、そしてその場合『排除の構造』こそ厳密に遠ざけられるべきものではないかと考えているのです。
  • はてなは善意で運営されるシステムです」という意見は確かに美しい。しかしそれは裏返せば「善意で運営されるシステムを尊重できない者は出て行け(そうでなければ運営が立ち行かない)!」という意見でもあるということです。しかし、参加者が意識して善意をキープしない限り運営が立ち行かないのだとしたらそれは「善意無きユーザー」が悪いのではなくシステムが悪いのではないでしょうか。
  • 「排除」の論理を取り入れず、かつ「善意」に過剰に期待せず、そして「寛容の精神」を人々が持ち続けるための唯一の方法は、やはり《カテゴライズドはてな》への道でしょう。ネタ質問を分けざるをえなくなっていること自体がそのことを雄弁に物語っているのではないか。そしてまた、ネタ質問をカテゴライズした所で、私は雰囲気がそれほど変わるとも思わないです。実のところそれはwebデザインの問題でしょう。たとえばボタン一つ(場合によったらクッキーの処理だけ)で登録してあるカテゴリーだけを表示するようなシステムを導入すればよいのです。それがどのくらいサーバーに負担をかけることになるのか(ならないのか)よく分かりませんが、現在のようにリアルタイムで質問の並びを処理している状態と、おそらく大きくは変わらないのではないかと思います。運営側にはぜひ一考して貰いたいと思います。その上で、板違いならぬ《カテゴリー違い》の質問等は適宜対処すれば良いと思います。
  • (追記)上で書いた「カテゴリー選択表示システム」、結構いい案だと思っていたら、既にaya-no-suke氏によって提唱されていた。やっぱりその辺が落としどころとしては妥当だと思います。

*1:これはもはや政治論を越え哲学の領域の話になりますが。