問題はどこか?〜徳保隆夫氏のblogに触れて

徳保隆夫という方が自ブログで、のまネコ問題に絡んで「大人の判断」を訴えています。今回の問題にからみ、これまで私は「反のまネコ」陣営の人々の意見やその存在に余り触れてはきませんでした。それは、実際にそういう人々の群れ集うスレッドなどに侵入してやりとりした結果、残念ながら『根本的な問題意識の共有』自体ができなかったという失意の体験があったからです。私自身にも先方にも、互いの主張に感情的な反発があり、そのことが大きく主張の交流を妨げたと思いますし、それは現在も同じです。
今回、この方のブログを取り上げたのは、一つにそのとき感じた違和感を感じさせる主張であったこと、しかしそのほかの記事を見ると自分が首肯できる主張も多くあったことから、この方との対話を足がかりにすれば「反のまネコ」的主張との意見交流に向けて自分の主張を整理できるのではないかと感じたからでした。決して「気にくわねぇ意見だから潰したれ」とかそういうことがしたいわけでもないし、そういうつもりもないです。ただ、主張のやりとりが泥沼化するようでしたら、何度もあちこちで同じ泥沼を繰り返すのも好みませんので早々に対話から撤退することになるかもしれません。あるいは主張を投げるだけで向こうから一切のレスポンスが無いかもしれません。それはそれで仕方ないとしましょう(そういうスタイルの人のようですので)。
まあ、始める段階であれこれと先を考えても仕方ないので、本題に入りましょう。徳保氏の言う「大人の判断」とは何でしょううか? そしてそれは私の主張とどう絡むのでしょうか。

AA のモナーのみならず、3次元化されたモナーもまたフォークロアとみなして間違いではないと思う。ではフォークロアであるモナーを、どのように独占的に販売していけばよいのか。フォークロアなのだから、同じ見た目のぬいぐるみなどが販売されることを差し止めるのは難しい。ただ、avex に1円も入らない形でモナーグッズが「恋のマイアヒ」と関連付けて販売することだけは制限できるのではないか? avex の主張が通らないとすると、誰でも「恋のマイアヒ」の人気にただ乗りして儲けることができてしまう。「恋のマイアヒ」の企画・製作・広告に労力と資金を注いできた avex にとって許容し難い事態です。

なぜ「モナー」ではなく「のまネコ」と名前を付けたのか。それは商品の名前で差別化を図るためだろうと予測がつく。同じ「モナー」という名前の商品が、avex の許諾を受けたものだけ「恋のマイアヒ」のキャラグッズとして販売され、その他多くのモナーはそうではない、といった状況は間違いなく消費者の混乱を招きます。だから「のまネコ」という名前を独占するのです。見た目は同じでも、名前で本物を識別できれば、消費者も小売業者も扱いやすい。

ただそれだけの話をことさらに問題視する意見が(例によって)ウェブでは盛り上がっています。

(中略)
2ch 周辺では、「AA はみんなのもの」であるが故に、特定の大企業が大規模に商品展開すると激しい反発を招くケースが少なくない。西村博之さんの問題提起が(デザイン修正、浜崎あゆみとの関連付け禁止を条件に)のまタコ黙認で決着すれば、「大人の判断」をネットの住人に啓蒙する好機だと思います。

上記から想像される「大人の判断」とは
a「商標出願や独占は、一般的な商慣習であり、それにケチをつけるのはコドモである」
b「avexは信用できないと思うのは、単なるコドモのいちゃもんつけに過ぎない」
c「AAはみんなのもの、とかいうコドモ的ヒロイズムに酔って問題の本質を見失うな」
…ということであろうかと思います。

しかし、この主張には下の通りいくつもの問題があります。
1)徳保氏の主張は「ではフォークロアであるモナーを、どのように独占的に販売していけばよいのか。」という所から始まっている。しかし、そもそも反発している住民の多くは「フォークロアに対してオリジナルを主張するのが冒涜だ」と主張しているわけで、そもそもそこから話が噛み合っていない。つまり徳保氏は「フォークロアを『若干改変してオリジナル主張』するのは冒涜ではない」という主張から、まず話を始めるべきである。
2)a「ビジネスとしては当然」*1という意見は上の通り「オリジナル主張が通った後の話」になりますので、却下。
3)b「avex信用できない」については、aについての合意ができていない時点で「信用できない」のは当然であり、そもそも引用先にもある「モララーに酒瓶持たせる自由が無くなる」件が事実である以上、信用しろといっても何を信用すればいいのかサッパリ不明だという話。どうして、本来何の権利も持たないはずのavexにそれを規制する権利が生まれるのか?を考えれば、そこに感情的反発がおこることは当然としか言いようがない。それを「現行の法律では規制できない」と言われても、納得する人は少ない。「現行の法律で規制できない悪」としか聞こえないからである。
4)c「安易なヒロイズム批判」。ヒロイズムが「間違い」の証明にならないのは自明。
5)最後に、相手をコドモ、自分を大人、と名づけたからといって、自分の正しさが証明できるわけでも、相手の不当さの根拠にできるわけでもない。「大人」という言葉は何ら免罪符ではない。

徳保氏にならって「たとえ話」をしてみようかと思います。以下の、どの時点になれば感情的に「許せなく」なるでしょうか?
1)外国で「桃太郎」を自分の考えたストーリーに登場させる人が出てきた。注釈などで「桃太郎は日本古来の伝説に登場するキャラクター」と注釈がついていた。
2)外国で、「桃太郎」そっくりの話を作る人が現れ、人気が出た。服装や時代設定は異なるものの、衣装の片隅になぜか「桃」のマークが入っていたりする。
3)外国で、「桃太郎」そっくりの話を作る人が現れ、人気が出た。服装や時代設定も妙に似ているが、桃太郎との関係については頑として口を閉ざしている。
4)外国で、「桃太郎」そっくりの話を作る人が現れ、人気が出た。服装や時代設定も妙に似ているが、桃太郎との関係には触れず、「これは作者によるオリジナルである」と主張した。
5)外国で、「桃太郎」そっくりの話を作る人が現れ、人気が出た。服装や時代設定も妙に似ているが、桃太郎との関係には触れず、「これは作者によるオリジナルである」と主張していたが、抗議を受け「桃太郎にインスパイヤされた」ことは認めた。
6)外国で、「桃太郎」そっくりの話を作る人が現れ、人気が出た。服装や時代設定も妙に似ているが、桃太郎との関係には触れず、「これは作者によるオリジナルである」と主張していたが、抗議を受け「桃太郎にインスパイヤされた」ことを認めたあとで、「桃太郎から生まれたのは事実だが、新たなオリジナリティを加えたので我々は問題がないと考えている。貴国で桃太郎のお話を語り継ぐのを妨げるつもりはない。」などと発表した。
とりあえず、2ちゃんねる住民は、(3)までは看過しており、その意味では十分に柔軟な対応をしていたと思います。
あるいは、問題を「フォークロアを独占的に使用しようとすることの是非」に絞った方が分かりいいでしょうか?

(追記)
こちらのコメント欄にいただいたご意見を、別のエントリにしました。ご参照下さい。

*1:これ、エイベックスの公式声明と同じ理屈だと思うんですが