ふたたびローレンツの比喩 〜炎上を考える

毎度毎度ローレンツを引き合いに出すのはなんだか読書量が少ないようで、おまけにまるでbluebeetleさんを召喚しようとしているようで(無理に呼び出しているわけではないのです…なんだか大変そうだし……済みません)恐縮なのだが、ここしばらく自分自身がささやかな「炎上」に晒される経験をしたり、他人のそれを見たりして思ったこと。
ローレンツは「攻撃」の中で繰り返し「動物の本能から来る攻撃衝動が、自分自身の本能を越えた攻撃能力(たとえば道具)と結びつく危険性」について語っている。彼はそれを「初めて石斧を握ったチンパンジー」という比喩で語る。チンパンジーの攻撃性とそれを抑圧する仕組みは彼らが生来持っている攻撃能力と二人三脚で進化してきた。従って、彼が初めて(偶然)石斧を手にして同族に攻撃衝動を向けた時、そこに悲劇的な現象が*1起きてしまう。同じ事は今日の戦争においても言える、とローレンツは語る。どうして家庭にあっては「良き父親」であり、素手で子供の首をひねったりまして引き裂いたり焼き殺したり決してできないであろう人が、何万人という子供を業火の中で死に至らしめるような爆弾を使用することができるのか、と。つまり彼らは「石斧を握ったチンパンジー」なのだ。それが今日人類が直面する危険である、とローレンツは語っている。
戦争という大きなレベルで、おそらくローレンツが言っていることは大筋正しいのだろうと私は思う。そしてまたその話をぐっと卑小にすることになりはするが、昨今の非理性的な「炎上」現象にであったときにその比喩を思い出したりするのだ。特にまともな理由もないのに炎上させて祭りだ祭りだと騒いで(楽しんで?)いる人々は、石斧を振るって自分の行為に脅威と戦きを感じているチンパンジーの様だ。彼らにとってたとえば2chのような匿名掲示板は、あきらかに危険な石斧だ。


かつての私のイメージでは、「炎上」というのは、あるサイトなどでの失言やあきらかな失態が「ネタ」として晒されたときに、論理的な誤りや正しい意味での批判を中核に据え、そのことで自らを正当化した「お祭り騒ぎをしたい群衆」がどっとあるサイトやブログや掲示板に突撃するという現象だったと思う*2。それが良いことか悪いことかといえばせいぜいのところ「やむを得ない現象/起こりうる危険」とでも言うほかは無いのだが*3、いずれにせよそれらの「炎上」には「炎上」することそれ自体の問題を免罪するための理論的バックボーンがあったような気がするし、そのことで「炎上」してしまうような非論理的なエントリ、あるいは道理の通らない文言や出来事を排除するという役割も担っていたかもしれない。それらはせいぜいの所「言い訳」に過ぎないが、少なくともその「炎上」の中核をなす『理論的突撃部隊』の人にとっては「自分の主張は正しい」ということが一つの免罪符になっていたように思われる。
しかし、最近各所で頻発している小さな「炎上」には、そういう「理論的支柱」を持たない……どころか、むしろ「かつてその理論的突撃部隊となった人を攻撃する」という特徴があるような気がする。まるで『理論的に物を語るという行為そのものが憎しみの対象』であり、そうひとのちょっとした言動に(たとえ誤解であっても)『カチンときた』場合、『そういった言葉に読み手の私が傷ついたという事実*4それ自体をもって、自分の攻撃は正当化される』と考えるような『非論理的な突撃部隊』を中心として炎上する…という現象が各所で起きているのではあるまいか。そして多くの場合そこで語られる「正論」も共通していて、曰く「誤解されるようなことを書く方も悪いよ」という意見だが、これまた元来言いがかりでしかない文句を付けられて怒っている人に対する意見としては甚だ暴力的で思いやりを欠いた「正論」であることを免れ得ない。エントリの書き手にしてみれば「道を歩いていていきなり殴りかかられた上、通りすがりの人に『油断してるから悪いよ』と言われました」みたいな気分だろう。そういう無法地帯なのか?ここは。こう書けば「そういう無法地帯に決まってるじゃん」と言う人もいるだろう。しかしどうも「インターネットは無法地帯だ」とかいう嘆きを平気で書く人が、却ってそういう無法な真似を平気で認め促進しているようで怖い。インターネット上で、匿名でいかにして信頼を形成するのかとか、匿名による情報交換の信頼性を高めネットの可能性を広げるには、とか、そういうこの10年間ネットあちこちで行われていた多くの試みや努力の歴史を、学びもしなければ考えもしていないのだろうか、そういう人は。そういう試みの全てを無意味だと捨て去らない限り「ここは無法地帯だ」なんて平気で言えないだろうと思うのだが。学校でそういう歴史はそりゃまあ習わないのではあるけれども。
まぁ私も「これを書いたら炎上するかもしれんなぁ」なんて思いながらエントリ書くことも往々にしてあるわけで*5、それを「プロレス」と称する人もいるだろうが*6、元来プロレスとは虚実の皮膜にしか存在しないものであって、私の行動を100%本気だと思われても困るのだが、しかし100%芝居だと決めつけられてもちょっと困る。だからこれまで読む側にもそういう受け取りにおける「遊び」や「余裕」を求めてきた。どこまで本気で言ってるのか、冗談で書いてるのか、書き手の様子を想像しながら楽しんでみる。軽いタッチで書いてるけど結構本気なんだろうな、とか、深刻な口調で書いてるけど本質的に冗談なんだろうな、とか、皮肉な口調で書いているけれどポーズだろうな、とか。そういう想像を読み手にして貰えるととても嬉しい。しかしそういう書き方はどうもUp to dateではないということを最近ひしひしと感じる。
「比喩」が通じない。「皮肉」が通じない。それは「分かりやすく書けばいいじゃない」という問題ではなく「比喩や皮肉によって語りたいこと/それでしか語り得ないこと」が通じない…通じないことが当然だと見なされ始めているということだ。「他の言葉に置き換えると消えてしまう何か」を語ることができなくなっているということだ。そういう余りにも単純な世界やコミュニケーションに私は、単なる好き嫌いを越えて「危険」を感じる。
こういう時勢が続くなら、たとえば昨年の「のまネコ」騒動の時のように、ささやかながら炎上の「理論的先頭」に立とうとするようなことを私は二度とするまい。石斧は、それを振るっている者同士が互いの頭をかち割るのに使っていただきたい。この潮流は『人類が己の行為に恐怖』*7するまで止まらないのであろうか。*8そんなら、とりあえずその「潮流」が止むまでこっそりと受け流すか引っ込んでおくのが賢明な態度であろうか。


いずれにせよ、そもそもこのブログの閲覧者は日に10数人程度のようだから、良くも悪くもそれほど気にすることもないのだろう。*9今後とも私はこうしてネットの片隅にヒキコモル所存である。そして願わくばネットの外れでずっとヒネクレモノでありたい。しかしここから出て行くことはしない。なぜならここが私の場所だからだ。

><

(追記2)
「炎上」発生のメカニズム(「デジモノに埋もれる日々」さん)
ここで述べられていることは多分現在起こっている多くの「炎上」のそれなりに正確な説明であると思います。しかし同時にこれは、上で私が述べている所の「こういうインターネットの『無法性』を漠然と肯定している議論」の典型であるようにも感じました。
この記事で、ブログ主さんは「コメント欄の匿名の批判者達も自分の言説に責任を持つべきだ」というCnetの佐々木さんの文章に触れて、次のように述べます

この責任平等の論理は、確かに正論に聞こえます。正論ではありますが、実際にはあまり意味を成す論理ではありません。では、ジャーナリストを名乗るものには責任が必要で、ブロガーやコメント書き込み者には責任が不要か?といった「立場(肩書き)による責任の差異」があるのか、というと、そういうわけでもありません。


それは「責任」は常に他者から「求められる」ものであり、自ら「アピールする」ものではないからです。


責任はジャーナリズムだから発生するものでも、全員に等しく平等に発生するものでもなく、
 「認知度」に応じて発生します。
本人が望んでいたかどうかに関わらず、有名になった人は影響力が大きくなります。そして影響力が大きくなると、その言説に影響される人の数が多くなります。ということは、
 
 「この人にヘタなことを言われると、自分に不利益がある」
 
と思わせる要因が発生することになるのです。
そしてそうした影響力によって自分と相対する言説が広められようとしたとき、人々はその影響力の主に対して「責任」を求めることになります。(「デジモノに埋もれる日々」より)

ここで言われる「責任」概念に、私は強い違和感を覚えます。それは「責任」なんかではなく、ちょっと古い言い方で言えば単なる「有名税」のことでしょう、と。これがそのまま延長して

「責任」とは、「正しい事実を述べているかどうか」ではありません。そもそも正しい・間違っているなどという判断は、社会通念が変化すれば解釈が変わるものであり、「正しい事実」などというものは存在しません。


責任とは、「大勢の聴衆を納得させられるかどうか」という意味です。
「納得している人」より「納得していない人」のほうがはるかに多いとき、
 
 それは「炎上」します。
 
「炎上」とは、納得のバランスが崩れ、「納得していない人」が大量発生してしまったことを示しているのです。そして前述のとおり、注目を受ける存在には、聴衆を納得させる「責任」が発生します。

という議論になると(分析の正しさ…というか「特攻する側の理屈」としては理解できますが)肯定できない理屈になってきます。物事には「どれだけやさしく書いてもこれ以上やさしくはできない(幼稚園児に大学の数学の概念を『やさしく』説明するのは不可能なように)ことというのは存在するのだ」と書いたのはたしか小林秀雄だったと思いますが、ブログ主さんの意見ではそういう話の場合でも「大衆を納得させる義務」が書き手に発生するかのように読めます。それは明らかにおかしいと思うのですが。


また、コメント欄でも言及されていますが、炎上という現象が「大勢でなく、ごく一部の狂信的な人を批判しても発生しうる」というメカニズムを考える際、ブログ主さんの意見はそのままそっくり「声のデカい者が正しい」という余りにも素朴で暴力的なジャイアニズムにしかならないことも気付くべきではないでしょうか。「炎上」を発生させているのは一種の素朴な大衆民主主義だと考えておられる気がしますが、それは上であげたような古いタイプの炎上には当てはまっても、現在起きている様々な「仁義なきプチ炎上」には当てはまらないと思います。ましてそれらの炎上に対して「"正しさ"など意味がない」「大衆を納得させられなければ炎上しても仕方ない」というお墨付きを与えかねないような理屈は、やはりいかがなものかと思います。

(追記3)
週刊アスキーの『仮想報道』っていつも楽しみに読んでいるのですが、そのweblog版にこんな記事がありました。
日本のネットはなぜかくも匿名志向が強いのか〜「歌田明弘の『地球村の事件簿』」
この中で次のように述べられているのが印象深かったです。

 私はいくつかブログを書いているが、そのうちのひとつは、このコラムを、編集部との約束で少し遅れてネットに載せている。しかし、紙の読者を対象に書いたことをネットに載せるのは、いまやときにかなりのリスクをともなう。

 言うまでもないけれど、原稿を書くにあたっての基準は「炎上するかどうか」ではなくて、「雑誌を読んだ人がおもしろいと思うかどうか」である。紙の読者がおもしろがることも、ネットでは猛反発、ということはしばしば起きる。

 このコラムに関していえば、ある研究会の内容を紹介した「2ちゃんねるは終わった」と題した回がそのもっとも顕著な例だった。このタイトルだけに反発したと思われるものも含めて大きな反応がネットで起こった。*10

 こうした「炎上体験者」としていえば(まあ「炎上」というのが何をどの程度起きたことを指すかにもよるが)、この問題に関していちばんまずいのは、怒っている人はともかく、どうでもいいと思っている人までが、炎上したことそのものをもってその発言が愚かだったように見なす発想のように思う。それでは、結局のところネット世論は多数派の意見に従っておけば無難、激しい反発を呼びそうなことは書かない、そういった退屈でもあり、危うくもあるメディアになってしまうのではないか。(前掲URL:太字部は引用者)

こういった意見がここ最近跳梁跋扈し始めたのは、web2.0という言葉の流行と無関係ではないような気がする。「多数の暴力」としか呼べないこういう意見が一見まともそうな口調で語られる状況を見ていると、つまりこういう意見というのは結局web2.0の誤解もしくは俗流解釈から来てるんではなかろうか?
そしてこういう「俗流解釈」こそが、始まりかけている新しい潮流にとって、味方に見えてその実最大の抵抗勢力であったりするんではないかと思ったりするのだ。まぁ、そういうことって珍しくもない話なのかもしれないが。*11

*1:自然状態ではよほどの偶発的状況でないと起こらない『残虐な同類殺し』が

*2:昨年の『かわいそうなホットドック売り』など。あれは、コミケにホットドック売りに行って「きんもーーっ☆」なんて誰もが見られる日記…しかも個人を特定できそうな情報満載の…に書いた時点で余りにも不用意だった

*3:気の毒だが、そういうリテラシーや予備知識なしに、不用意なことを公衆の場に持ち出すのはやっぱり危険だ

*4:繰り返すが、たとえ勝手な誤解で傷ついたとしても、である

*5:つまり「炎上上等」と思いつつ、きつい表現を使う場合もあるということではある。ただし決して炎上が好きなのではない…はずだ。広告も貼ってないブログで炎上して一体何が楽しいのか?まぁ沢山の人が来て、結果として同意や反論ならそれがくるのはそりゃ歓迎だけど、基本的にサービス業やってるので『どんなんでもいいからブログに反応貰わないと寂しくて仕方ない』というような悲しい人生も送ってはいない。

*6:ちなみに私は今のプロレスを見ないがプロレスファンなので、こういう場面でしたり顔で「プロレス」という言葉を使用する人が嫌いだ

*7:ささやかにガンダムネタ…

*8:あるいはこういうエントリがまさにその「己の行為に恐怖」した反応の一つとなるのならよいのだが。

*9:前回2chに晒されてプチ炎上した際のHIT数ですら、日に100程度である……ほんとに片隅の弱小ブログだ(笑)

*10:蛇足だが、「2ちゃんねるは既に終わっている」というのは、ひろゆき自身が以前から語っていることだ、という話は、以前このブログでも紹介した。そういうタイトルのみで「炎上」するというのは、明らかにする方もどうかしていると思う。

*11:たとえばキリストを吊し上げたのが、キリストに勝手な期待をして付き従った人間達だったように…というと言い過ぎか。