ちっぽけな人間を、それゆえに愛するということ(ロリコンファルさんへの返信)

ひとつ前のエントリ(ツンデレvs悪女論のもう一つの視点)について、ロリコンファルさんから次のような指摘をいただきました。回答したいと思いますので以下まず引用。

なんか、上記エントリさんは、私と考え方、人間観が全く真逆で凄く面白いな…。
私は、好きな人、愛する人がよくないことをした時は、そのことを悲しみ、それを怒ったり注意したりするのが、私的で密接な関係性、「私とあなたの」関係性(愛情)というものの本質性としてあると思っているから…。
なんでもかんでも許すというのは、単純に、個々人に対する広大な無関心さの現れであって、私的な「私とあなたの」関係性の密度に準拠する愛情とは別のものとしてある。
浮浪が心からなんでも許せるのは、愛情を、少なくとも個々人に対してという形では持っていないからであって、結果現れるものは無関心そのものとしてありますね…。


例えば、学校でイジメがある。「いやー、もう教師なんてコリゴリです!」と云いながら、それでも、イジメの事実に自らの心を痛め、イジメを止めようと一生懸命に行動する先生と、「人間って、ホントに可愛いもんですね」と述べて、イジメ自体を人間的な営みとして肯定することで、何もしないでイジメを放置して眺めている先生、上記エントリさん的に解釈すると、前者は中二病的、後者は前者よりも人間的器が大きい人物ということになるのかなと思いますが、私は全くそうは思わないな。なんでもかんでも悟って、どんな良いこと悪いことも全て許すような悟りきった聖人よりも、人の為に、できうる限り、今を良くしようとして生きて苦しむ凡人の方に私は共感するし、そういった凡人とともに生きたいと思っていますね…。
そして、そういった凡人にしか、本当の意味で人を愛するということは、できないと思っている。
ロリコンファル:http://d.hatena.ne.jp/kagami/20071002#p1

読ませて頂きました。確かに、恋愛観・人間観の違いというのはあるかもしれません。
ただ、いくつか多分私の表現がまずくて誤解させてしまっている部分もあると思います。そこをさらに説明させていただいて埋めることができれば、id:kagamiさんと私の立場はそれほど違ったものということにもならないんじゃないかと思いましたのでお返事させていただきます。


まず、「相手の悪を放置するのは愛でなくて無関心だろう」というのはその通りだと思います。その点で私は特にkagamiさんには反対しません。ただ、その上であのシーンで浮浪が「女ってかわいいもんですね」と言ったのは、「なんでも許す」という立場とは少し違うんじゃないかと私は考えています。
ただ、そのズレは、私がちゃんと「何巻の何話目でだいたいこういう流れ」ときちんと例示しなかったことにあるわけですから、kagamiさんの責任ではありません。


まず浮浪というキャラクターですが、どちらかというと彼は「放っておけば良いトラブルにあえて口だしをしたり手助けしたり助言したりする」タイプの人間です。その意味で彼はkagamiさん定義においても人を「愛している」人間だろうと思います。そして、出会う人間人間全て片っ端から「愛している」のだと思います。そもそも「無関心」なら青木先生が何を言っても「そうですね」で流しておけば良いわけで、考えようによっては相手を怒らせるかもしれないような言い方なんて、する必要自体が無いですよね。


たとえば(kagamiさんの例を借りれば)『学校でイジメがある。「いやー、もう教師なんてコリゴリです!」と云いながら、それでも、イジメの事実に自らの心を痛め、イジメを止めようと一所懸命に行動する先生』は、使命感とかそういうものに突き動かされていたのではそのうち身体を壊してしまうでしょう。何より、「この人仕事でやってるなあ」と子供に見抜かれてしまうのが関の山でしょう。だから、本当に「教師なんて…」と言いながら一所懸命走り回る先生は、イジメに遭っている生徒はもちろんのこと、イジメをしている生徒のことだって可愛くて可愛くて仕方が無くて、だからこそジッとしていられなくて一所懸命走り回るのでしょうし、その意味で私はそういう先生と浮浪は同じモチベーションの下に動いていると考えるわけです。
逆に『「人間って、ホントに可愛いもんですね」と述べて、イジメ自体を人間的な営みとして肯定することで、何もしないでイジメを放置して眺めている先生』という人が実在するかどうかは置いておくとして、もしその先生が自分が殴られても叩かれても無視されても全く平気なのだとしたらその人の行動にもかすかな理があるかもしれませんが、*1一般的に考えて目の前に発生しているイジメをただ端座して眺めているとしたら、それは病的な無関心かひどい臆病の言い訳でしかない。神が個々の人間の些細な苦しみやつらさに無関心であるように他者に対して無関心な人間というのは、人間が人間である限り基本的に存在し得ないと思いますし、たとえそれが物語の中であるとしてもリアリティが無さ過ぎです。


ならばなぜ浮浪は青木先生に対してあんなことを言ってみたのか。


想像ですが、そもそも盗られた金というのは「盗られても困らない程度の金」だったわけで、その程度の金を相手に呉れてやることもできず盗むという行為をさせてしまったという点において、青木先生の側に全く落ち度はなかったのかということが一つ。また、「愛」という名の下に盲目となって、相手がどういう人間で何を考えていて何をしようとしているのかをじっと観察することさえ怠っていた(だからこそ簡単に欺された)という「愛するもの」としての落ち度が一つ。最後にそれを根拠に「女なんて…」という決めつけを行ってしまい人生のある部分の可能性を塞いでしまっている青木先生の不自由さを笑い飛ばすことで彼の人生に風穴を開けようとしているという可能性。私がさっと思いつくのはだいたいそんなようなことです。


たとえば、我が子が砂場でとなりのみよちゃんに、

「○○くんおいしそうなチョコ持ってるね」
「うん。いいでしょ」
「ちょっと見ていい?見るだけ」
「うん」
「ちょっと味見してもいい?(すりよりながら)」
「う、うん、いいよ」
「ペロ。おいしいいいいい。ね、ちょーーーーっとだけカジっていい?。ね、ね。いいでしょ?(手を握ってぶんぶん)」
「う……うん。ちょっとならいいよ」
「(全部)パク」(スタタタタタタ)
「あーーーーーっっ!!!!」

……というような目に遭ったとして(´゚'ω゚`)ショボーンとなったとしたら、ワッハッハと笑って息子の頭をなでてやるでしょうね。「人生は厳しいのだ」とか言いながら。この程度のことにマジギレしてみよちゃんを息子と一緒に追っかけ回して糾弾する気には私はなれないし、それが息子のためになろうとも思えません。むしろ、その程度のウソに出会って泣く方が、彼の人生にはゆくゆく有益かもしれぬ、くらいのことは思いそうです。
つまり青木先生の言う「女ニダマサレタ」とか「金ヲトラレタ」とか言うのは、浮浪にとってあくまでその程度のことだと感じられてんじゃないかなあ、と思ったという話なんですよ。なのに大げさに「女とは…っ」と大上段に振りかぶってる青木先生の稚気が面白くて可愛くて、で、浮浪はちょっと意地悪をしてみたかったんじゃないかなあ、と、まあそう感じたという話なんです。


たとえば、子供のウソに振り回されるのではなく、笑って欺されてあげるのが大人の仕事じゃないのかな、と。大人が子供を愛するとは、子供と同じレベルにただ立つのでなく、子供と同じレベルに立つことも出来るそうでないことももちろんできる、という状況においてのみ正しく成立するのではないかと思います。

悟りとは真逆の、自分の周りの小さな、人と人との関係を一生懸命生きる営み、そこにこそ、私は価値を見いだすな…。

とkagamiさんも書いておられますが、「一所懸命」生きている人は自分の「価値」がどうかなんて多分考えもしない……だから、その「価値」に気づきそれを愛することができるkagamiさんは、私の言う「大人」のレベルで、ちっぽけな「人間」のちっぽけな営みを愛しているということなのではないかな、と思いました。
私もまた、kagamiさんが後半で述べておられる「人間のちっぽけで必死な営み」にこそ価値がある、と思います。そして、ちっぽけな営みの中で生きている人間として、その「価値」にふと気づかせてくれる『大きな人間性』としての浮浪のような『大人』像に憧れる、ということなんです。


自分がまだまだ子供だった頃、ときどき「大人ってすげえ……」と思わせてくれる大人がいました。親戚であったり高校時代の先生であったり、ロックミュージシャンであったり、大学教授であったり……自分には及びもつかないような、仰ぎ見るような圧倒的な知識、人間性、魅力、才能や技術、能力を持った人々。彼らのようになりたい、少しでも近づきたい、自分はまだまだ…という思いをずっと抱いて年を取って来ましたし、今は自分が子供に少しでも「大人ってすげえ……」と思われたいな、と、そのためにはまだまだだ…と思いながら日々を生きています。誰もが浮浪になれるわけもなく、まして自分があんな人間になれるとは思いませんが、浮浪のような目で物事を見てみる瞬間が、kagamiさんが仰るように『人間はちっぽけだけれども、だからこそ愛すべき存在でもある』ということを私に思い出させてくれるということなのです。
よろしいでしょうか?


さて、それはそれとして踏まえた上で、前回の私のエントリの趣旨、つまり

ツンデレツンデレとして実在しているのではなく、ただそうあらしめる男の鈍感さ未熟さがあるに過ぎない(ゆえに、ツンデレを実体として論じる論は有効であり得ないのではないか)

という論について、もし良かったらついでながらご意見お聞かせ頂ければ幸いです。
では、また(´ー`)ッ

*1:それでも彼が無痛症であったりマゾヒストであったりする可能性を排除できませんが