余談

先日から、今更のように「江口寿史の正直日記」を読んでいて、数年前の「江口寿史による写真背景批判」事件(http://matome.naver.jp/odai/2132265467798621101)のことを思い出し、改めて江口寿史の言いたかったことを咀嚼したりしている。日記に散見される、江口寿史の「絵を描く人間」としての、線に込める思い、線を引くことで世界が広がっていく悦楽とか、そういった手描き・アナログな感慨を踏まえて一連の会話を見ると、あの江口の発言は、何も「マンガとしてアリかナシか」とかそういう話だったのではなく、「オレは『線』が好きなんだよ!線が死んだらマンガも死ぬんだよ!」というただソレだけの話だったのだろうし、そしてそこが(マンガ家同士なら)通じると考えていた江口と、通じなかったという現実*1の差が生んだ悲劇だったんだろうなぁと思う。どっちの気持ちも分かるだけに、辛いところだなあ。

*1:「現代マンガが分からない老害」呼ばわりだったものなぁ。