再びyasukanaさんに。(たとえ「公正」が一種の幻想に過ぎないとしても…)

Fairness:公正さ というのは、一種の危険思想だ、という説があります。
特に昨今、我々は「公正さ」を金科玉条のごとく押し立てる意見をよく目にします。曰く談合は許せない、なぜなら「公正」ではないから。汚職は許せない、なぜなら「公正」ではないから。スポーツは美しい、なぜなら「公正」だから。プロレスは美しくない、なぜなら「公正」ではないから……etc。私はその一部には同意しますが一部には同意しません。「公正」というのは植民地主義を正当化するための論理に使われたという話をご存じでしょうか。曰く「我々は、かの国とFairに競争をし、我々は勝利した。従って彼らは我々に従うべきであり、それがFairな態度である」云々。しかし、最初からスタート地点の違う二者の競争を「Fair」だというのは全くの偽りであるし、そもそも「競争などしている積もりもない相手を無理矢理試合に引きずり出して、一方的に勝利宣言」なんて単なる犯罪行為でしかないわけですね。「文明の劣った」国に対して「支配を宣言」し、抵抗する住民を「文明の利器でFairに殺戮」した「先進国」の人々の所行を、しかし「正しい」と考える人は今なお多いのです。
それでもなおかつ「Fairness」という概念には魅力があります。なぜならそれを越える「正しさ」らしきもの、文句のつけようのない価値観を我々はこれまで持ち得ていないから。だから「公正さfairness」という言葉を使う時、私は幾分ためらいながら……以上のような議論を踏まえ、その言葉を使うことで議論をミスリードする心配がないかどうかに注意しながら、それでもいくらかの誇りをもって(人類がそういう概念を持ち得たと言うことに関する誇り、です)使用します。たとえば、

id:yasukanaさんが、私の議論を「公正に(すなわち、偏った見方に立つことなく、それでいて反論にも十分な機会を与え、かつ私の論旨を丁寧に押さえた上で、発展的な意見をそこに加えようと前向きな意志を持って)」扱って下さったことに感謝します。
@http://jinriki.g.hatena.ne.jp/yasukana/20050701

こういう具合に、です(^^)。
その上で、私もyasukanaさんの論に「公正に」お返事しようと思います。しかし、yasukanaさんにも仰っていただいたように、やはりお互いの「姿勢」には共通点が多い気がしていますので、以下のお返事は、反論等ではありません。
まず、「自虐」という言葉が一種の「誘惑temptation」であったかもしれない、というご意見は、事実こうして「誘惑」された私がいるわけですから説得力のある意見です(笑)。その尻馬に乗るわけではありませんが、私が例のいわしの書き込みをあえて「自虐というタームの批判」に絞ったのも同じ理由だ、と言わせて頂いてもいいでしょうか?(笑)
また、小泉氏が「外国に言われて姿勢を変える」ことが「正しくないと思う」という意見は非常によく分かりました。確かに、中国にしても、批判自体はあり得るにせよ「あのようなやり方で(繰り返し反日行動を煽ったり、あまつさえ会談予定→キャンセルなどという行動を批判のための道具とするなど)」批判するのは慎むべきであったと思います。慎むべきという言い方が正しくないとすれば、「下手な外交」だった、というべきでしょうか。ハッキリ言って中国のあの批判の仕方も、また「急に言い始めた捕鯨反対」にしても、国際的に見れば同じくらい説得力がありません。私は小泉氏の行動自体も外交的には非常にマズいと思っていますが、中国の批判も同じくらいマズい外交だと思っています。両国の外交部は、責任をもってこの問題の良い落としどころを探るべきでしょう。ブッシュ・共和党が次回の大統領の座をキープする望みは非常に低いと思われる以上、日本は可及的速やかに、中国との独自な、「対等な連携チャンネル」を築く必要があるでしょう。日中関係をこれ以上空転させることは、日本の外交上の損失になり、ひいては東アジアの安定に大きなマイナスとなることは明白だと思います……。