再びtakasiymさんに

http://d.hatena.ne.jp/takasiym/20050701/1120235539
うーん。いただいたお返事は部分部分への問いかけになっていて、逆に私の主張したかった全体に亘っていない感じがして、このままだと少し答えづらいです。誠に申し訳ないのですが、泥沼へと踏み込んでいかないために、少し問題を整理させていただけませんか?
で、以下のようにこちらから内容をまとめ、逆に質問してみたいと思います。
1)かつての日本の植民地政策をどう評価するのか?
これについて、私は「歴史的文脈で『その当時としてはやむを得なかった』と判断するとしても、現在それを『良いことだ』と評価することはできない」という立場ですが、id:takasiymさんはどうお考えになられますか? (id:yasukanaさんとのやりとりをふまえて言うと、とりあえず「歴史認識」は共有できているという前提で、政治的判断について今私はお伺いしているつもりですが…。)「現代という視点から過去を見ている」というご意見をみるに、この私の意見の前半と後半を一緒にされているのでは?という不安を感じましたので一応お尋ねします。
2)反戦運動家もまた「国のために犠牲になった人」という点には同意でしょうか?
私はもちろんその点に同意しています。takasiymさんにおかれましても、これについて同意いただけるとしたら、そういう人が祀られていない機関の正当性が当然問われることになると思いますが、そういう点から見れば靖国神社というのは「国のために犠牲になった人を祀る」機関だと言い切れない側面があるのではないでしょうか。
3)アーリントンとの比較について
私が「アーリントンと靖国は違いますよ」という話をしたのは、たとえばkomasafarinaさんのコメント欄の指摘のようなことをふまえた話です。ちなみに、喩えを米国にもっていくよりも、あなたの出された問題は、たとえば「この先、ウサマ・ビン・ラディンフセインが死亡したとして、アラブ諸国ウサマ・ビン・ラディンを『神』として讃えていたとして、米国民はそれを批判しませんか?」と言い換えてみればよく分かるのではないでしょうか? そのとき「死者は区別しない」という日本は、アメリカに対して「罪を憎んで人を憎まず」という意見を本当に主張しますか? 
4)死ねば仏という考え
……最近このように、「敵味方無く死者を弔う、という日本独特の素晴らしい風習」といった主張を見聞しますが、正直眉唾です。たとえば敵の首を、自分の手柄の証明として集めていた戦国の武将に「敵の死を悼む」という発想があったのかどうなのか。自分を裏切った連中の首を並べて酒盛りをした織田信長の話もありますね(頭蓋骨で髑髏杯を作らせ酒を飲んだ…というのは後世の脚色だと言われていますが)。逆に、「怨霊のたたる力それ自体をパワーにする」という素朴な宗教観なら、歴史上相当古くから認めることができます。最古の神社の多くはその手の「地霊・怨霊」を祭神としていますし、その延長上としての「敵祭」という風習があったというのは理解します。しかしこれは、あなたの仰る「敵であっても死を悼む」というのとはかなり違いますね。もしこの時代の人たちに対して「敵を弔うなんて、あなた方は『人道的』ですね」なんて賞め方をしたら、多分目を白黒させて驚くんではないでしょうか。それでももし仮に「敵であっても死ねば平等」というのに近い感情をアジア圏で探すなら、たとえばこんな感じのことではないでしょうか。あるいは北欧神話に「戦士の楽園 ヴァルハラ」という発想があり、勇敢に戦った「戦士」は死後ヴァルキューレという天女に選ばれて神の下へゆく、という考え方があります。「戦士」のみを祀ろうとする靖国に近いと言えばこちらの方でしょうが、それでも靖国は「敵」を「神」として祀るほどではないですよね。
その他数々の古典文学を見ても、死者(敵)が『祟る(そして折伏されて成仏するor神となる)』というお話はそれこそ無数にありますが*1、一方登場人物が「死んだら敵も味方もない」というような口舌を吐いている文学はちょっと思い出せません。「死んだら敵も味方もない」というのは本当に「日本の伝統」なのでしょうか? そこに「人道humanism」とか「平等equality」といった明治以降の輸入概念が入り込んでいることも含めて、私はそれを明治の国家主義者が作り出したおとぎ話に過ぎないのではないか、と疑っております。明治〜大正時代の修身の教科書にはそういった「日本の歴史の西洋道徳的解釈」に基づいたおとぎ話が大量に見られますし、昨今の似非国家主義者が主張する「ニッポンノデントウ」というのは大抵その辺りにいきつくようです。
最後に、もし疑いがあったら一応解いておこうと思いますが、私はごく普通の一日本人です(と口で言うだけの行為にどれほどの信頼性があるかはおいておくとして)。祖父は戦時中医者で、伝統派の大物なんかともつきあいのあるそれなりの人物だったと聞いたことがありますが、酔っぱらうと「こんな戦争しやがって!」と口走ってはケンペーさんに連れられて二、三日お泊まりしてくるのが常だったとか(笑)。まぁそんな祖父のお陰で、私も、事態の中にいながらそれなりにシニカルに物事を眺める癖があったり、言えば損になるだけのことも思わず口走らずにはいられない性格になったのかな、と思ったりしています。日本人としての自分のアイデンティティをしっかり持つことと、日本人の立場からしか物を見ないことはイコールではありませんよね。
5)「日本の伝統」について
「日本の伝統」と主張するからには、まずは多くの古典文学に現れる美意識などを検討し、たとえば宣長の仕事なんかに目を通すことは無論なのですが、そういった「古典」自体がまた明治の教育によってピックアップされたものに過ぎない(我々のいわゆる「古典文学」の知識というのは、時代的にも内容的にも相当偏っていますね)部分も多いです。従って、本当に日本人がいかなる思想をもって歴史的に過ごしてきたか……ということを問うのは、相当難しい作業になると思います。たとえば柳田国男折口信夫などの民俗学者の仕事から始まって、丸山真男加藤周一、といった歴史学者、その他「忘れられた日本人」宮本常一の仕事なんかを丹念に振り返ってみる作業が必要になると思います。
自らにかかっている「西洋的」バイアスを外して自らの歴史を振り返るというのは、それこそ一朝一夕にはできない、本当に大変な作業だと思います。しかし、日本を愛し誇りに思おうとするとき、自らの偏りを自覚しつつ、そのルーツを変に美化することなく、丹念に正確に読み解こうという作業がどうしても避けられないのではないかと思います。戦争期の振り返り(謝罪と反省?)なんかよりも、それはもっと根本的で大切な仕事だと私は思っています。

*1:ほとんどの能の演目はそれが主眼ですね