構造的寝坊論

見事に寝坊しました。職場のみなさんm(__;)mごめんなさい。お詫びに今日はさっさと帰って寝ます(違)。
なんというか、個人レベルで言うと、無理をすると無理をした分絶対に非効率的になるはずなんですよね。
残業1時間でできる仕事量と、きちんと寝起きして就業時間内に1時間でできる仕事量を比べれば基本的に後者の方が効率いいはずなんで。それは個人レベルでもそうだけど、ひとつの会社というレベルでもそうです。もちろんそのために新たに人を雇うということになると保険や賃金の長期的保証という面からいってコストも増えるでしょうけれども、それは本当に社員を使い倒すことと引き合うのかというとそうではないでしょう(のちのちの社員の突然の体調くずし、や過労死〜訴訟なんてリスクもコストに含めれば)。私の業界でも、それなりに心身の不調を抱えたり過労死したり、事実上の過労死をする人(主として独身に多い)がいます。社員を使い倒す会社は良い会社ではないですよ。
で、これ社会全体でも多分そうなんですよね。ワークシェアしたら確かに保険やらのコストは上がるでしょうけれども、逆にそこを切りつめているせいで社会不安(治安コスト)や健康不安(保険コスト)、そして少子高齢化や教育の崩壊(残業&共働き社会というのは、要するに子を産み育てる(次世代育成の)エネルギーを会社で消費させる社会ということですよね)は確実に増大し、現在我々はそのコストを支払わされています。さらに根本的な社会全体の「幸せ感」の低下による公共心の欠如は、個人主義的傾向(都会的傾向といっても良いでしょうが)を増大させ、そのことが生み出す様々な問題(全体のために何かをしようとする人間の減少)はもっと大きなコストとなって我々に降りかかってきます。
従来そこをつなぎとめていた「地域社会」「家制度」などというセーフティネットもすでにないため、上記に対する根本的な対策を打たない限りそれらのコストは我々の懐を直撃することになるでしょう。要するに、日本を一つの家族にたとえると、働き蜂のお父さんの気づかないうちに遅まきながら家庭崩壊しかかっているということですね。お父さんは必死に稼いでるつもりでも、肝心の家族がその金を浪費し続けていて実は家庭はローン地獄、みたいな。これを解消するために、お父さんの給料からがばっとローン返済分を天引きしましょう……というのが、現在の小泉さんの税制改革(サラリーマン増税)なわけですが、どう考えても問題はそこじゃないだろうと思う今日この頃です。最近よく問題化される「ニート」にしたって、その7〜8割以上が「仕事があれば働きたい」と答える単なる「失業者」だということは意外と知られていません。きちんと仕事をシェアできる社会(&残業をまかり通らせない社会)というのを今後デザインしていかないと、本当の意味で日本が立ち直るということなどあり得ないと思いますよ。郵政民営化、とか、ちょこちょこと微々たる先祖の貯金の切り崩しをしてる場合じゃないんですよ。
いやけっして寝坊のイイワケで言ってるわけじゃないですから。(笑)