オタクの定義

オタクは一般人から無意味と思われるような趣味にお金をつぎ込みますが、じゃあ高級なブランドバッグを買う女性がオタクじゃない理由を教えてください。
それは「オタク」の定義次第でしょ、と切って捨てるのもなんなので、少し質問文を加工して考えてみます。

一般人から無意味と思われるような趣味にお金をつぎ込むと『オタク』と呼ばれてしまうしそれはそれで仕方ないとは思いますが、じゃあ高級なブランドバッグを買う女性はどうして『オタク』と呼ばれたりしないのか、そしてまたそれが妥当だと私にも思えるのだと思いますか?これを成り立たせるような一般的な『オタク』概念をあなたなりに定義してみて下さい。

私の感覚では、彼女らをブランドオタクと呼んでも全然OKだし、学者なんかもオタクと呼ぶことに抵抗はないのですが、どうやらid:C-Flyerさんの定義はそうではないようです。このような「定義次第では彼女らも『オタク』ですよ」とかいう回答は求めてないのでしょう、多分。また、「アニメ・マンガなど特定のジャンルだから『オタク』なのだ」という回答にも満足していないところを見ると、id:C-Flyer氏にとって『オタク』とは、私のよりは狭く、それらよりはもう少し広い概念ということになります。まあ、確かに世間的にはそちらの方が「正常」な言語感覚なのでしょう。
まず一つの考え方は、id:akemi1さんが主張する「対象がメイン・カルチャーであるかサブ・カルチャーであるか」という説。これはそこそこ説得力があって、id:yunoha609izumiさんが言っておられる「政界のエキスパート」をオタクと呼んだりするのは、わたし的にはOKなんですが多分id:C-Flyerさん的にはNGなんでしょう。より正確にはメインかサブかというより、メジャーでないもの…特に一般的に「子ども向け」だと認知されているジャンルに対するフェティッシュなこだわりは、『オタク』というコトバにかつてこめられた冷ややかな侮蔑を含んだニュアンスの理由をよく理解させてくれるものですし、その意味で「ブランドOL」が『オタク』呼ばわりされない理由にもきちんとなりうるという意味では良い定義だと思います。
しかしそれ以外にも考え方がないわけではありません。たとえば『オタク』とは、必ず「具体的な物自体へのフェティシズム(崇拝的で過剰な欲望)」であるという考え方です。ある物へのこだわりが高じて、その物がもつ歴史的環境的な状況(コンテクスト)やその意味及び精神性などを一切排した一種の「物質至上主義」的な欲望にいたったとき、それは『オタク』的な欲望となるという定義はどうでしょうか。ここで私は例えば『鉄道オタク』のケースを考えています。鉄道に対する知識が全て『オタク』的知識だとすれば、世の「鉄道マン・鉄道のプロ」の人達はみな『オタク』だということになってしまいます。『オタク』的な対象を愛し、それに対する(世間から見れば)過剰なほどの知識を持っているからといって彼らを『鉄道オタク』と呼ばないとすれば、最初の定義は不十分だということになります。そこで、「同じ対象を欲望し所有していても、その欲望の仕方・所有の仕方によって『オタク』であったりなかったりする」というこの現象を説明してみましょう。
彼ら鉄道マンや鉄道のプロは、鉄道という物をその意義や関係性を持つ全体性として理解しており、そういう理解の仕方は『オタク』的ではないのではないかと私は思います。私たちが生きているこの世界は、あらゆる物事が深い関係性の網に覆われています。余りにも複雑化したそれを見失うとき、我々は状況も意味も見失って対象に対して「周囲からは理解されないような」欲望を抱くことになる。『オタク』的欲望とはそういう一つの「歪んだ愛のかたち」のことではないでしょうか。
「ブランドを買いあさるOL」は、厳密に言うとブランド品「それ自体」を欲望しているのではないのではないでしょうか。彼女らが真に欲しているのは「ブランド品を所持しているわたし」であり、その証拠に彼女らはブランド品を「コレクションしてしまい込んだり」はしないでしょう。それを身に付けて街を歩き、「所持しているわたし」を実現して初めて彼女らの欲望の一端は満たされることになります。その意味で彼女らは「理想のわたしオタク」ではあっても「ブランドオタク」と呼ばれるべきではない、ということになり、とりあえず「ブランドオタク」ではない……というのが一つの結論になるかと思われますがいかが?

(追記)
こんなの見つけました。賢い人はやっぱり言葉が上手い。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20051024142859/index.html