一社会人として

「一社会人として尊敬/共感できるような人」というのは、仕事場の同僚にはそれなりにいます(ありがたいことです)。が、意外とネットではそういう人に余り出会わないのはなぜなんでしょうか。タマにいると、なんだか「作った感」が強い人だったり、押しつけがましかったり、構えすぎて立派すぎて疲れてしまう感じだったり。
文は人なり」という言葉がありますが、これは、文章がその人を表すというただそれだけの意味ではないと思います。文がその「人」を表すためにはやはりそれなりの意識やトレーニング(それは決して文章の巧拙という意味ではなく)が必要なわけで、そういったことを意識しきちんと行っていることも含めて、それがその「人」なのだ…と、多分そういう意味なんだろうなと思ってます。たとえば、「私の文章がいまいちうまくないのは、多分私がどこかで他人を拒否している所があるからではないか」とか。まあそういう感じ。
「文章がうまくなりたいな」と思っても多分自分が思うような「うまさ」は手に入らないと思います。それよりは人間として、一社会人として修業した方がずっといい……「文は人なり」というのはそういうことだと思うのです。だから「現実にはいっぱいいるいい人」が「そういう人なりの文章」をすらすら書いてくれるかというと、なかなかそうはいかないのでしょうね。
その意味で、このブログは、「しっかりした一人の社会人」としての内容と、文章の肩の力の(良い感じの)抜け具合がすごく理想的にバランスがとれていていいなと思いました。こういうのって、真似しようと思ってもなかなか真似できない。多分私より結構年配の人なのだと思うので、同じくらいの年になるころには少しは似たようなことを他の人に感じて貰えるような文章が書けたらいいな、と。
まあそんなことを考えた深夜でした。
相方はとなりで早々に寝ています。
ごめんなさい。もう寝ますね。