春は長雨…

どうしてこうなるのかさっぱり分からない。*1
戦場のお姫様だっこロボ
そもそも「お姫様だっこ」しなくてはいけない理由がさっぱりわからないし、そのロボットが二足歩行しなくてはいけない理由が更に分からない。本当に「凸凹のある路面上で誰かを快適に移動させる」ための最適形態が二足歩行なら、既にレイバーが実用化されていてもいいはずではないか。レイバーが実用化されない理由はシンプルで、四足の方が合理的だからということに尽きる。要するにこの問題の解としては「四足歩行」の、つまり「自分で動くベッド」を作る方が合理的なはず。それなのにこうなったのは、要するにただ「戦場でお姫様だっこできるロボットが作りたかった」だけではないのか…。
ドリラーも問題だが、まず責任者を生徒指導室で詰問してもらいたい。*2

(追記)
さて妙に人間臭いロボットを作った物だ。が、なるほど「人を抱きかかえる」というのはこれまで人あるいは生命体にしかできないと思われていたことかもしれぬ。「抱く」とはどういう行為か。かかえる、だく、いだく……意味を広げればまもる、はらむ…などともつながっていきそうだ。いずれも強い「情感」と縁が深そうである。機械が人に情感を与えるという十年前なら笑われたようなテーマが、真面目に研究課題になっている。
これらのロボットの何代目かあとの世代は、どこかの戦場で人知れずジンメイキュウジョとやらを行っているのかもしれぬ。今彼らがまだ人形をしか抱けぬとしても、その胸に青雲の志くらいは抱いていてもよさそうだ。
しかし逆に私は考える。「戦場(バトルフィールド)」というその物騒な名前について。彼らが駆け回る「戦場(バトルフィールド)」とはどこなのか。それが本当に、人間が血を流し疲れ倒れそうになっている生の現場なのかというとどうもそうではなさそうないきおいだ。こいつらが活躍する「戦場」とは、いずれお偉い連中の手下共が気にくわない人間を虫けら扱いしてぶっ殺しかつゴミのように掃討する現場であって、そこでこいつらはその「ゴミ」どもが仕掛けたちっぽけな罠に引っかかったおエラい「手下様」がこのときとばかりに泣き叫んで逃げ出す手伝いをするためにかり出されるのがオチだろう。それは「たたかひ」の現場などでは全然無く、はっきりいえば単なる「コロシ」それも「ミナゴロシ」の現場でしかないだろう。「戦場(バトルフィールド)」でなく素直に未来の「虐殺の地(キリングフィールド)」とでも名付けろといえば言い過ぎになろうが、いずれにせよそこに明るい未来が見えてくる気配はなさそうだ。もちろんそれは彼らの不幸というよりは我々の不幸であり我々の不明*3である。随分柔和な彼らの顔を見て、名も知れぬ国のレジスタンスどもが憎悪や戦慄を覚える未来が、戦場の黒煙の向こうにゆらいで浮かんでくるではないか。
ロボットが血を流す未来は人間が血を流さない未来ではなく、血を流す人間が居なくなる未来だろう。電子と命を取引した日から、サイバーモンキーの群れは退くということを忘れたらしい。果てしなく進歩し続ける未来社会!それは果たして人間の未来であり人間の戦いなのか。そんなことのために人類はここまで歩いてきたのだろうか。
とはいえ、こんなシロモノが実際に戦場に出回るようになりはすまい(まさしくそれが余りにも非効率的であるがゆえに)。そんなわけで、我々としては、まあ彼らを戦場に出すという夢物語を無責任に語る程度で止めている現状がまずまず平和というやつであるのかもしれない。願わくば彼らの「バトル」の現場が、せいぜい「老いとの戦い」や、あるいは「より人間らしいロボット制作の戦い」などの現場であることを祈りたい。*4

*1:タイトルの「春は長雨…」は、名作「綿の国星大島弓子著の冒頭の主人公の独白。これに続いて「どうしてこんなに降るのかさっぱりわからない。どうして急に誰もいなくなったのかさっぱりわからない。」という余りにも詩的な独白が続き、主人公が捨て猫であることが明らかになっていくわけだが、本文との関連はただそれだけ。

*2:bluebeetleさんの意見を非常に意訳すると「落ちがオチてない」ということではないかと……orz

*3:意味不明の不明でなく『物事を見通す力のないこと』

*4:ちょっと『社説』風に