日本の医療について

ブログを始めて痛切に思うのは、これまで発言を封じられていた「現場」の人々が次々に情報発信を始めている中で、報道の自由を持つはずの自由主義社会ニッポンの大マスコミが、これまでどれほど情報弱者であり、これまでの報道なるものがいかに『大本営発表』に過ぎなかったか…がいやというほど見えてきたなあ、という感じです。
最近特にそれを感じるのは、医療をめぐる事件が起こるとき。『聖職』という縛りの中で、これまで本音の発言を禁じられ、黙々と人知れず耐えて耐えて仕事をしてきた彼等の本音を聞けば、今起こっていることが大変なことなのだと分かってきます。様々な社会の矛盾がすべて現場の医師の良心に委ねられてきたこと、そしてそのせいで今やシステム全体が崩壊しつつあるわけですが、その構造を摘出し解明して反省するどころか、「大マスコミ」は今やその崩壊それ自体によって起こる事故の責任まで現場の良心的な医師たちの背中に背負わせようとしているようです。これらの構造をマスコミ自身が責任感をもってえぐり出す(つまりマスコミ自身がマスコミ批判のキャンペーンをはじめる)までは、日本の「大マスコミ」は決定的に信用されないままだろうな、と個人的に思います。
さて、かような記事を書いたのは先日奈良で起こった事件について、その経緯が(冷静に)詳細に2chで報じられ、それを紹介した日記を見つけたからです。この記事の事実性は読んだ方がそれぞれ判断していただければいいのではないかと思いますが、いくつか回って見た感じでは、この説明に一番納得がいったのも事実です。してみると、これはどうも医療の問題なのではなく政治の問題なのでしょう。
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ちなみに現場になった大淀町というのは、かつてはそれなりに栄えた古い町なのですが、ハッキリ言っていわゆる日本の田舎です。阿倍野まで急行で1時間半かからないという意味では決して不便とまでは言えませんが、実際には駅を降りてからまた山の中に入っていったところに多くの人が住み、車無しでは生活できない、また車で他の町に行くにはいくつも山を越えていく必要がある……そういう場所です。ちなみに、その意味では大抵の奈良の田舎はそんな感じです。奈良県内の他の病院に搬送しようとして断られた…とありますが、他の地域・病院も似たり寄ったりの状況でしょう。大淀の病院でダメなものが他なら対処できる…というようなものではなかっただろうと推測します。どこも病院をなくすか、現状で精一杯やるかの瀬戸際で、それこそ医師の良心に頼るようなやり方で地域医療を支えている状況です。医療にかけるお金を国家的に削減するというのは具体的にこういうことだ、としかいいようがありません。
にもかかわらず、多くのマスコミの報道は「担当医師の判断ミス」とかそういう所に集中しています。全く無反省だとしか言いようがない。マスコミの報道の作り方にも、おそらく構造的な問題というものがあるのでしょう。マスコミの現場の人々はその点をどう考えているのか、できればそれこそブログで情報発信などして欲しいものですね。
参考:新小児科医のつぶやき

(追記)
参考先の最新のコメント欄である妊婦さんが「出産に命の危険があるなんて知らなかった。私たちはどうすればいいのか。」と書いておられます。確かに日本の周産期死亡率は諸外国と比べても低いそうですし(下の参考を信頼すれば、1000人あたり3.6人。戦前は1000人あたり46人だったそうですから激減しています。医療の進歩と関係者の努力の成果、そして高度成長のおかげですね。)そういう状況下でいちいち数字を上げて妊婦にリスクを説明し不安に陥らせるような真似をする人がいるとも思いません。確かにそう言われれば、'80年代以降生まれであろうこの方が「常識として知らなかった」というのは当然でしょうし、そもそも1000対で3.6の死亡率よりも、1000対で10.0を越えると思われる「交通事故負傷率」の方が遙かに現実的にはリスクです。
が、それでも「本に書いてなかった」ということを根拠にして他者を責めるというのはいかがなものか。これは情報リテラシーの問題かもしれませんが。

*1:もっとも、もめた原因はどうも最終的に病院側弁護士の不用意な一言…開口一番まず『病院側に責任は無い』ことを主張し始めたことだったようにも感じますが。