『うちは貧しいから上の学校になんてやれません』と政府は言った

asahi.com:国立大授業料、私大並みに 財務省、5200億円捻出案 - 社会 (魚拓)

試案は、(国公立大学の)授業料を私立大並みに引き上げることで約2700億円、大学設置基準を超える教員費を削ることで約2500億円の財源を確保できるとしている。「義務教育ではないので、一般的な教育自体のコストを(税金で)補填(ほてん)することには慎重であるべきだ」とし、「高等教育の機会均等は、貸与奨学金での対応が適当」とした。

色々言ってるけど、「アンタらの教育にお金(税金)出したくない」ってことですね、一言で言うと。けど金は貸さないでもないから(要するに金は無いわけじゃないのね)行きたければ借金(貸与奨学金)して行くと良いよ、と。まあ、ドライな対応。親を亡くして親戚の家になんかに預けられてる子がその家の人にそう宣言されるとか、昔のドラマであったね、そーゆー話。理不尽とは言えないかもしれないが情のない対応。もっともそれを血のつながった親子の間で宣言したのが今回の話なわけではあるんだけど。


まあそれでも「オレは勉強好きじゃないしさっさと就職して今まで世話になった分返します」とその子が本心から言うのなら別に問題はないんだけど、問題は勉強が好きで才能もあり上の学校に行ければ将来的なリターンが大きく見込める子に対して「大学」の価値をよく分からないような人が「あんなとこ行ってもムダさ。それより働きなっ」と言ってる構図。その子の心情を思いやると、実に切ない。

義務教育ではないので、一般的な教育自体のコストを(税金で)補填(ほてん)することには慎重であるべきだ

「みんなが行くわけじゃないだろっ」「出して貰えると思うんじゃない、あんなのぜいたくだよっ」ってことですか(><)

高等教育の機会均等は、貸与奨学金での対応が適当

「まあどーしても行きたきゃ止めないけどね。その分貸しだよ。」ってことね。


…何、この人情ドラマ(笑)。


いや、実の親子だけに発言小町の方が近いですかね。
自分の部屋が無いからと子供が口を利いてくれない(発狂小町)

私どもは共働きです。夫は厳しいタイプだと思います。
娘(21歳)も一人っ子ですし、自然とドライな家族関係が形成されていたように思います。
娘は少し感情的で、夫が理論でそれを鎮めるというしつけが多かったと思います。
夫が若い頃は娘の髪をつかんで床に叩きつけたり、タバコの火をつけたりしようとする(実際にはつけていません)しつけをして、私も驚いていましたが、今は落ち着いています。
こういうことが娘の今の性格(感情的、キレやすい)に関わっているのでしょうか?


娘は私達の老後は見たくないと言っておりましたが、それは子供の仕事だと思うので結局は見てくれると思います。


お金を出せば部屋を作ってやると夫が提案しましたが、娘は私達に学費を借りていて(浪人分も)、それも返せていないので無理な提案でした。


就職はするつもりで居ると思います。どこでするつもりかは知りませんが、多分東京だと思いますので、私達の新築に住むことは無いと思います。


一人暮らしは学費だけ貸していて仕送りはしていません。荷物はほとんど実家に置いてありますがここ数年使ってないので必要ないものと思われます。

自分がどれだけひどいことを言って/しているか分かっていない、親のその分かって無さも含めて。


まあブックマークで「貧乏人は大学行くなということか!」と怒り心頭な方々が多いのも無理ありません。実際、国立大学の授業料が私立並みに上がったら、多分「優秀だが大学に行けない」生徒は確実に増えるでしょうしね。一頃喧伝された「東大生の親は平均収入が高い」という都市伝説を信じて「国立大生の保護者は高額所得者」と思いこんでいるのでしょうか。あれは翌年確か「実は調べてみると余所と同じでした」というオチがついたのを覚えていますが、とりあえず以下のような資料を見ても、「国立大学の学費私立並に値上げ」が、実際に大学への進学を考える子どもたちにどう受け止められるかは少し考えてみた方がいいかもしれません。
学費・雇用黒書2007(全学連)

[2007東京大学教養学部学生自治会アンケート より一部抜粋]
・ 私立の大学に行くお金がないので少しレベルの低い国立を最初から受験する人がいた
・ 授業料を上げているのは基本的に東大卒の官僚なので文句いえない
・ 学問の発展→産業・文化の発展→国家の繁栄。国はここ(学問の発展)に金をかけるべき。国家の礎たる学問者、すなわち大学生が金を払って勉強するなぞ以ての外だわい。
・ 学費を下げてほしい。少なくともあげないでほしい
・ 理学部志望なのに、親から大学院は無理だといわれた
・ 教育費は0円にすべき。格差社会で一番問題なのはお金がないと勉強できないことだから。
・ 現在の制度(奨学金、授業料免除制度)で対象外の人でも、ぎりぎりのラインの人は学費を払うのは厳しい。
・ 今すぐ学費を下げろといっても無理だと思うので、現状を維持し、徐々に改善してほしい。というより、他国と比較してなぜ日本だけがこれだけの金額がかかるのか、その原因を明示してほしい
・ 受験生のとき、「私立に行ったら卒業まで行く金がない」みたいなことを親がいってた。
・ 留学の試験に受かったけれど経済的理由で断念(自分)
・ 学費の高さも問題であるが、教官たちの給料の安さにも、問題があると思う。
・ 教科書のために、ここまでお金を払わなければならないと思いませんでした。
・ 弟の教育費もあって、生活が氷河期
・ いとこで私大に通っているものがおり、家庭内では全ての費用を出すことができず、祖父母などが出したりと総出で学費やそのほかのことに行っている
・ 優秀な才能のある人が学費が払えないので大学にいかず、就職してしまいました。もったいない。
・ 食費を削ってます
・ 肉が食べれません。
・ すでに東大を卒業した知人で、親から仕送りをもらえずに自分でバイトして払っていたけど、留年して学費が足りなくて別の人の親に借りて何とか卒業していた
・ 友人が研究室に住んでいます。一月10 万円弱で暮らしているとか。栄養失調にならないかしんぱいです。
・ 国立の方が安いゆえ、国立を目指す人が多いが、チャンスが前期後期の2 回しかないのは納得が行かない。
・ 姉も大学に通っているので2 人分の学費が父母の大きな負担・ 友人に三つ子の子がいますが、一度に入学金3人分は無理なので3人のうち1人は働くことになり、じゃんけんで負けたこが国立の第一志望の大学に受かったにもかかわらず、この春から働いています
・ シングルマザーの子とかの友達は、不本意ながら短期大学にいってしまいました。学費が足りないからです。・ というか、教育に市場原理を導入していくのがそもそも誤り。トンネルとか橋を地方に作る金があったら国立でその分湯水のように使うべき。自分自身親の収入が不安定で困っている。理系は大学院進学が基本になっているので中途半端な収入では奨学金も払えず苦労すると思う。
・ 学費が高いのでこれ以上上げるのはやめてほしい。また、高い学力を持つ人は学費が少なくてすむようなシステムを作ってほしい
・ 不況で父が職を失い、再就職はしたものの十分な収入がない上、3人兄弟であるため、2番目の私はまだ何とか通わせてもらっているが、妹が希望している通り大学に進めるかどうかは学費を考えると非常に厳しい。
・ 彼は稀代の天才と呼ばれ、将来は宇宙飛行士になり、人類の宇宙進出に貢献するつもりでいた。しかし、彼の父親が経営する工場は経営難で、家族が食べていくのがやっとだった。また彼には弟と妹が合わせて5 人いて、長男の彼は家族の支えとなるために高校卒業と同時に働かなければならなかった。…続きはweb で

……あ、もういいですか。こんなもんですよ、実際の所。


もっとも個人的には、こういうこと(大学教育費は自己負担が妥当)をまともに考えるのは、たとえば死刑絶対主義者とかある種の救いがたい差別主義者(レイシスト)と同じようにガチガチな市場原理信者みたいな人だけだろうと思っていました。実際のところ、たいていの人に対しては、大学というものの価値や社会的意義について、いちいち説明する必要など無い、と。


もちろん大学に行けばバラ色の未来が開けるなどとは思いません。けれども良くも悪くもそこには「近代的な知」の一つの生の形があり、それに触れることができる…近代という時間の中で、これまでそこに費やされた多大な才能と時間の集積を考えれば、たとえそれらの知が事実上骨董品であるとしても、そこから得られる刺激の豊かさと大きさは、他に代え難い……まあそういうことは、自明の前提として良いことだと思っていました。もちろん一人一人の子どもにとって「大学」だけが唯一の進路選択ではありませんし、むしろそうあってはならないと思います。ですがスポーツに向いている子どもが、芸術的才能を持つ子どもがその道に進むことを支援できる社会が望ましいように、学問に向いている子どもがお金の心配をせず学べる場を保証することはとても大切だ、と思っています。国立大学というのはそういう場であったはずでしょう。


なので、以下のような話をそれなりの年齢、それなりの立場の方が言っているのをみると、がっかりを通り越して愕然とします。

勉強をするのにも、格差は無くなりつつあります。高い百科事典を買うお金がなくても、ネット上に無料で公開されているWIKIPEDIAで、あらゆる情報を調べることができます。WIKIPEDIAは誰でもが自由に編集していくネット上の百科事典であり、その内容は日々更新され、創刊5年でブリタニカの10倍の項目を持ちました。やはり無料の「はてな」に勉強で分からないことや人生の相談をすれば、たくさんの見ず知らずの人が、貴方の質問や悩みに答えてくれます。身近に高学歴の人がいなくても、お金を払って家庭教師を雇わなくても、むしろそれよりも遙かに正確で多くの答えが即座に返ってきます。私自身も阪大のフロンティア研究機構の機構長をしていたとき、FRe大学というeラーニングを始めました。阪大に入学することなく、いつでもどこでも私の授業を聞くことができるシステムです。インターネットは、情報やノウハウを公開しないことによって市場を独占してきた既得権益産業(大学を含みます)のビジネスを破綻させ、参加したい人が互いに情報の隠蔽をすることなく公開し、さらに共同運営を許すことによって、機会と格差をなくしてしまう革命、それがWEB2.0なのです。
(WEB2.0(続・とりあえず論)(Prof Kawata's Cyber Lab.)

まあ2年前の文章だということを割引いて読むべきなのでしょうが、「大学」というものはこの人の中では単なる「前近代的非合理主義に基づく家元的徒弟制度」に保護されてきた象牙の塔であり、「明るい未来社会の到来のために打倒し改革すべき唾棄すべきシステム」でしかないのでしょうか。私には、そういった考えかたの方こそが恐ろしく浮世離れした古い古い考え……おそらく学生時代に仕入れた反権威主義反知性主義の亡霊のように見えます。余談ですが、とにかく彼の文章を読んでいると、「自分のライフスタイルを模索して自由に生きるフリーター」*1とか「自由競争社会とはやり直しのきく社会です」*2とか、あるいは「アメリカ人は子どもでも堂々と主張するが日本人は話が下手だ*3」「ワープロでは文章のストーリーをしっかり考えることができない」*4とかツッコミどころが多すぎて困るのですが、彼の世代*5にはこういう考え方の人は多いように感じます……偏見ですが(笑)。


もっとも、世代の問題だけでなく、こういうことを言う人はやはりいます。

…というのも、日本において大学というのは誰でも行くところではないからだ。大学どころか高校すら誰でも行くところではないが、進学率 - Wikipediaによれば、高校はそれでも94.4%の人が行くので de facto 義務教育ではあるのに対し、大学および短大は52.3%、大学に限ると42.4%で、半分以上の人にとっては「そんなの関係ねえ」というのもまた事実だ。

それらの人々にとっては、国公立大が現在受け取っている1兆2000億円(記事参照)も、私大が受け取っている4500億円も(私学助成の充実−文部科学省)縁がないことになる。「大学適齢期」(18-22歳)の人口がおよそ600万人とすると、これは30万円/年に相当するが、進学すれば60万/年のサービスを受けられるのに対して、行かなければゼロということになる。進学しなかった人にとって、これはかなりアンフェアに感じられるのではないだろうか。
(高等教育にベーシック・キャピタルはいかが?(404 Blog Not Found)

dankogai氏は微妙に勘違いしていて、もし「不公正」という言葉をここで用いるなら、事態はもっと極端です。そもそも「国公立大学」への進学枠は、大学への進学者年間約60万人のうち年間10万人分しかないので、同世代人口のわずか7%。よってその国公立大学生が税金から貰っている額は一人あたり年間300万円となり、アンフェアといえば相当アンフェアに聞こえるでしょうね*6


ですがそれを『サービス』と呼ぶことに、私は非常に違和感を感じます。支援? いや、そんな綺麗な言葉を使いたくないならズバリ才能への『投資』だと考えても良いでしょう。社会が次世代の様々な才能に『支援/投資』を行うことに、フェアもアンフェアも無いと思うのですが。


ベーシックキャピタルという話は、それなりに面白い話だなと思って以前の記事は読んだ記憶がありますが、教育に関してそれはどうでしょう。個人的にはやっぱりよく分からないところも多くて、たとえばそれが「公立図書館は利用しなければ損だからその分税金返すか、いっそ一人一人本を買えとお金をくれたらいいじゃない」という話なんだとしたら、やっぱり分野によっては少し暴論なわけで、やっぱり教育に関してそれは同じようには論じられないんじゃないですか、とも思ってしまいます。ベーシックキャピタル的な考え方は、彼が専門にするジャンルではそれなりに有効な議論である側面はあると思います。彼が切り開いてきたような「道無き道」を歩むような場所では、経験や伝統というのはむしろ邪魔に過ぎず、個々人の才覚が100%発揮されるような政策が理想でしょうから、ああいう考え方に走るのは分からないでもない、という意味で。ですが『伝統』というものに量りがたい価値のある分野では、「個々人の才覚」を過剰に評価する政策では、ムダが多すぎるのです。


たとえば人間の体の仕組みは1万年くらいではそう大きく変わりません。従って、「人間の身体」を最大のベースにする技術体系…たとえば格闘技などの世界では、あらためて今伝統的なものの価値が非常に見直されています。哲学をはじめとした文系諸学問にも、それと同じような所があるのです。9歳で微積を理解する子どもは教育方法次第では十分可能な気もしますが、9歳で「人情の機微が理解できる人格者」の子どもを育てるのは相当難しいでしょう。しかし、それ無しに法律を、歴史を、言語を、社会を、我々は語ることが出来ないのです。そういう分野において、仮に『伝統』を廃して全てを『個人の才覚』で学んでいこうとすれば、どんなに才能のある個人が一生をそれに費やしても、所詮「一人分」程度の成果しかあげられないのです。それでは何百年経っても同じことの繰り返しに終わるのが関の山で、結局学問の進歩など得られないでしょう。言語化された知だけでなく、非言語的な知……資料への対し方、学問に取り組む姿勢のあり方、研究の実際的な作業のあり方…それらは一見すると「儀礼」や「マナー」、あるいは非実際的な「作法」のように見えるかもしれませんが、実はその中にこそ先人の築き上げた知の体系があり、学ぶべき物が存在しているので、文系の人間が大学という場で真に学べるのは、そういった非言語的な知の体系そのものです。


もちろん、dankogai氏が「もちろんそれらの知に価値があることは認めるが、つまるところそれは『ある種の知』にしか過ぎないのであって、それだけに国がお金をかけることはアンフェアなのだ」と言いたいのだとすれば、その主張は主張として理解しますが、その論の建て方は正しくないと思います。
たとえば先の図書館の例を使って言うと、仮に図書館を使わないとしてもその分の税金を返せよとは私は思いません。公民館を使用することなど私はほとんどありませんが、市民がそれをそれなりに有効に使っているのであれば税金の使途について私が意思表示するのはあくまで投票の場におけるそれにとどめることでしょう。なぜならそれは結局の所「お互い様」だと私は思っているからです。あらゆる「価値」が私に理解可能だと私は思いません。だからこそ「私には理解できないが、誰かが大事にしているものにはやはりそれなりの価値があるのではないかと積極的に考える姿勢を失うべきではない」と考えます。仮に、それを深く考察した上でやはり「アンフェアだ(高すぎる)」と思い、減額を主張する与党に投票するのはそれはそれで自由だとは思いますが、ここで行われたように、大学にかけられているお金「それのみ」を取り上げて、それがフェアだアンフェアだと議論することには、余り納得がいかないのです。


ん…?なんだか話がずれてきた気がするので、元に戻します。大学の学費値上げは愚策です。先日の給食費にしてもそうですが、財政が厳しくなってくると最近は真っ先に弱い者の利益を削っていこうとする傾向がありますが、そういう「多数決で決めたから正義」と言う(多数決をはき違えた)「機会の平等=公正さ(Fairness)」的発想は非常に危険だと改めて訴えておきたいと思います。本当のところ、彼らは「弱者」の声など、何ひとつ聞いてはいないのですから。
また「より上手に奪え」と教えるばかりでなく「より多く育てよ」と、国が率先して主張して欲しい。いい加減「明日ご飯が食べられない」という脅しはまっぴらです。それよりも、本当に「声」を持たない小さき人たち…30年、50年先を生きる「未来人」のための話をしましょう。それなら、意味がある。


「最近の若い人たち」は本当に楽しみです。我々から見ると「この暗い時代に…」と思える時代の中、元気よく明るく前向きに生きている。幸いにまだ日本という国には様々な資産があります。その資産を、彼ら未来世代のために使いたい。だから、教育にかけるお金を削るなどという話は、話だけにせよ止めて欲しい、と切に願っています。

*1:フリーターが増加したのは「夢を追う若者が増えたから」ではありません。彼らは単なる失業者であり、それは構造的につくられたものです。

*2:そういう言い訳でセーフティーネットをどんどんはずしていった結果が、現在の「失敗したら死ぬしかない自由競争社会」なわけですが。

*3:編集、ということを考えておられないようです。TVで見たモノを真実だと考えているのでは。

*4:単に個人的な向き不向きの問題だと思います。手で文章を書くのは、それはそれで良い経験だとは思いいますが、河田氏の仰る効用とはまた全然違った面で、です。

*5:ひらたく言えば団塊以降のシラケ世代の方々

*6:実際は理系文系でも相当差があって、文系100万(=実質人件費のみ)、理系500万という感じかもしれませんが