本屋で立ち読み

http://www3.asahi.com/opendoors/zasshi/ronza/
論座」'05.2月号「津田梅子もオニババなの?〜トンデモ本『オニババ化する女たち』を批判する」(鍼灸師 田中美津

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

への批判らしい文章タイトルが目についたのでさっと読む。
……激しく落胆。
悪いけど、論が正しいとか正しくないという以前に、批評のレベルに達してない。そもそも三砂ちづるの主張の核である『フェミニズム身体論の視点から現代史を捉え返す』という着目が理解できているとは思えないヒステリックな文章。同書は以前面白いなと思って読んだが、基本的に理論書というよりは体を使った仕事における実感と女性としての実感から叩き上げた「現場の声」で綴った歴史書だと感じた。そういう本の「理論的部分」を、しかも文脈を無視して細切れな引用を繰り返し、それに対し嘲笑するような文体で文句をつける。非常にB級以下というか、結局女性の身体性を抑圧したためにこの本のメッセージを捉え切れていない田中氏がオニババそのものじゃないですか?…と言われかねない出来。

三砂氏の同書は、「オニババ化」というセンセーショナルな言葉をタイトルにしてるから売れてるんだろうけど(帯の「抱腹絶倒」という煽り文句だけは理解の範疇を越えているが……あれは同書が理解できない人々のヒステリックな『笑い』なんだろうか? たとえば女性が「セックスの快感は大切だ」なんていう話を真面目に論じることがそんなに可笑しいことなのだろうか? それとも「痛快」とでも言えばいいものを、単に日本語が不自由だからああいう表現になったのだろうか?)本当は非常に真面目な本であのタイトルじゃ内容が勿体ないよなあ、と思った本だった。三砂氏は「オニババ」化してしまうエネルギーをどこへと振り向ければいいのか?とか、結婚しない女性にはしない女性の生き方がある…などの話もきちんとしているのに、田中氏は「津田梅子も…?!」なんて批判の仕方をしている。まあ、結局目を通しただけで全然『読んで』ないんでしょうね……。まあこの手合いの批判が来るのも、センセーショナルなタイトルの副産物なんだろうけど。

根本的には、こんなレベルの批判を載せてしまう「論座」の編集部に問題があると思うんだけど、そもそもこの人誰?、と思って調べてみると「生来虚弱だががんばってよれよれになってメキシコに4年間行って悟って鍼灸師に」なって「上野千鶴子と対談」したり「クロワッサン」でも紹介されたりする「東洋医学界のスター鍼灸師」(自分で自分のページに書くか?)。
http://www.tanakamitsu.com/rera3.html
「人工太陽」の「光線治療器」が「癌に効く」とか書いてる人に「トンデモ」呼ばわりされるというのはちょっとどうなんでしょうね。ハリと光線治療器と気功で治すのか。随分科学的な治療ですね、それは。と皮肉の一つも言いたくなる。

そもそも、個人的に「トンデモ」という言葉は嫌いだ。ある時代にある種の理論が「トンデモ」扱いされることが全くないわけではないからだ。そんなことは歴史をひもといてみれば(決してガリレオがどうとかなんて古い話を持ち出すまでもなく、鈴木梅太郎でもフレミングでもいいし)よく分かる。それは本人や理論のせいではなく、主として政治的な理由や、当時の主流的な理論との隔たり、あるいは作られたイメージのせいだったりする。なのに、そういうことに無関心な人間が無邪気(なフリをして)他人を「トンデモ」呼ばわりして笑いものにする構図というのは、見苦しいを通り越して滑稽だ。個人的には田中さんが行っているハリと光線と気功治療も別に否定しようとは思わない。しかし、そういう治療を行っている人が、他人を不当なやり方で「トンデモ」呼ばわりするというのはいかがなものか。