『自衛の為の』戦争?

1)前説
隊長にしては論点のはずれたことを書いているな、という印象でしたが…隊長のところで「自衛の為の戦争」をめぐるニュースが紹介されていました。

改憲容認派に九条一項の「戦争放棄」についての考えを聞いたところ、「自衛戦争も含めてすべての戦争放棄を明記」(39・0%)が最多で、「自衛のための戦争であれば良いことを明記」(37・9%)とほぼ拮抗(きっこう)。戦争放棄をより明確にするために九条改正を求める「護憲的」改憲派が相当数いることを示した。(北海道新聞2005/04/30 07:19)

ちなみにここでいう「自衛戦争」とは何か?そして現行憲法九条が禁止している行為とは何でしょうか?問題の本質は「まぁ、ちょっと改憲してみるか」というような所にあるんでしょうか。
2)「自衛戦争」とは何か?
「自衛(のための)戦争」について考えるに際し、それがどのような「文脈」で起こるか?によって、いくつかに分類できると思います。元が複数になるので一つ一つ詳述することは避けますが、まず「相手国から宣戦布告があるか否か」「相手国軍による具体的な侵略行為はあるか否か」「こちらの行動は積極(能動)的か消極(受身)的か」「結果としてこちらの行動は相手国を侵略しているか否か」によって分類する、とします。

それを念頭において、以下のような表をイメージしてみて下さい。

__________  ○   ×
宣戦布告が行われた_  有   無
X軍は国境を越えた_  YES NO
自衛隊は攻撃/防衛的  防衛的 攻撃的
自衛隊は国境を越えた  NO  YES 

左に項目が4つ並び、上に○と×があります。ちなみに「○」は日本側の対応が合憲的になりうる傾向の強い状況・「×」はその反対(違憲と考えられやすい状況)とお考え下さい。
まず全ての項目について○(合憲的)、つまり「○○○○」ならば

○○○○
他国の軍隊が宣戦布告して、国境を越えて侵略行為を開始し、それに対して自国の領土内で抵抗的かつ防衛的な実力行使(迎撃行動など)をした。

ケースとなり、これは明らかに合憲的な行為だと理解されます。一部のヒステリックな改憲論者は「九条論者は侵略されても抵抗しないのか?!」などと喧伝していますが、「○○○○」を批判する国際世論などありません。
また一方、全ての項目について×(違憲的)、つまり「××××」ならば

××××
他国の軍隊が宣戦布告なしに無視できない規模で国境の向こうで侵略行為を準備〜進撃開始し、それに対して相手国の領土に抵抗的かつ攻撃的な動き(ミサイルを打ち込む・爆撃するなど)をした。

ケースとなり、たとえそれが名目として「自衛の為の戦争」であったとしても、国際的にも多大な批判を巻き起こす行為であることは間違いないでしょう。要するにイラク戦争がこれであり(とアメリカは主張していますが、事実として侵略行為の準備があった事の証明もされていないので、実際はもっと悪いわけですが…)これは明らかに違憲的行為である上に、ほとんどの改憲論者にもこんな戦争は是認されにくいものだと理解されるのではないでしょうか。
しかしそもそも、憲法九条を改訂するに際し『自衛戦争』などという、きちんと定義の無い言葉*1を使用すれば、この「××××」もまた「自衛戦争」として認められうることになるのではないか、というのが今最大の問題だと私は思います。これは決して大げさな表現ではなく、歴史上「自衛の為ではなく純粋に領土拡張欲・侵略のため」と標榜された戦争など存在しないと言っていい。アメリカの一部勢力だって、イラク戦争は「自衛戦争」だと主張しています。つまり「自衛戦争はOK」と憲法に書くということは、事実上いかなる戦争も否定しないということに等しい。それでいいのか?ということです。
一方また『護憲』*2だろうが『創憲』*3だろうが『とにかく反対』*4の勢力だろうが、九条下でも四番目の項目が「×」となる以外のあらゆる行為が合憲である、ときちんと主張すべきではないでしょうか。すくなくともガンジーさんのような「非暴力による抵抗」が日本におけるスタンダードではない限りは。
3)「合憲」的抵抗とは?
3)−1 いわゆる侵略行為に対する抵抗
ここで、なぜ「四番目の項目が×」以外の全ての行為が合憲的であるかについて、その根拠を述べます。
そもそも一般に言う(国家間の)戦争とは『自分の意志を相手に強制するための手段として(軍事)力を用いるという行為』を指します。「戦争を行わず戦争当事者にならない」と宣言している憲法九条下で日本は、侵略を受けた場合「相手国が日本に強制しようとしている意志やそれへの抵抗」をすることができないに過ぎず、従って、侵略に伴うあらゆる紛争は「内政状態として処理」することになります。ひらたく言えば「それが内政としての対応にとどまる限り合憲、それを踏み越えた瞬間に違憲になる」ということです。
その場合『国境を越えて進入してくる外国の軍隊』は単なる「武装した不法入国者」として処理することになります。これを制止することは一種の警察行動であり単なる内政行動です。もちろん国際的に見れば明らかな「武力紛争状態」であることは明白なので、当然国連決議を踏まえて国連軍に進駐して貰うことは可能でしょう。その際臨時に自衛隊を「国連軍」と認定して貰うという形を取るかもしれませんが、そもそも自衛隊は軍隊ではないので警察行動の一環として「国際紛争を解決する手段としてでなく」活動することは可能です。しかし、自衛隊が国境を越えることはできない、ということは現時点の運用としては理解されていることではないでしょうか。そこから先は相手国の主権範囲ですから、日本の内政では処理できませんし。*5
3)−2 ミサイル防衛について
「国境を越えられた場合は普通に対応できる」とすれば、残る国防に関する問題は(そして、これが最も難しい問題ですが)「国境を越えない攻撃」、つまり戦略/戦域ミサイル防衛ということになります。「国境を越えられない警備隊」であるところの自衛隊が、相手国内から立て続けにミサイルで攻撃されたらどうすべきなのか?もちろん一部は既に導入されているパトリオットなどの迎撃ミサイルを含めた迎撃システムで対応することができるでしょうが、それでも多数のミサイルが飛来する事態に対して、被害が生じることは避けられないでしょう。では、そういう事態に対しては現憲法下でなすすべがないのでしょうか?
まずひとつには、当たり前ですが「いきなり宣戦布告も無しに、多数のミサイルを打ち込まれるような事態」を生じさせないことが重要でしょう。なんのために「外交」部が日本には存在するのか。いかなる独裁国家であっても、いきなり問答無用で攻め込まれるというのは相当な異常事態です。そのような事態を招くような外交をすべきではない、ということです。
次に、これも当然ですが、国連の役割が重要になってくるということです。国連軍は日本の憲法にはしばられませんので、ミサイルを撃ち込んでくる国への積極的対応が可能です。本来いかなる国においても(このようなケースであっても)他国に対して「自衛と銘打った侵略的行為」は許すべきではないのではないでしょうか。あくまで「国連の名の下に」「治安維持行為」として何らの領土的野心が存在しないことを前提に紛争の鎮圧が行われるべきでしょう。そのためにも、現在の日本の憲法のあり方は、そのモデルケースになりうるはずです。また、国連の役割を迅速かつ有効なものにするためにも、国連常任理事国入りを含めた国連対策は常に欠かせないことになります。それが健全な国際社会というものではないでしょうか。
4)問題の本質は?
ここまで長々と喋ってきましたが、もう少し率直に言えば、上記をふまえると現在の「改憲論議」において重要な問題は国防などではないということです。では何か?といえばそれは「自衛隊の海外派遣」なのでしょう。なぜそれが今議論になるかというと、簡単なことでアメリカの世界戦略の方針転換に伴うものであることもまた明白でしょう。積極的に他国に部隊を展開する米軍が、安定度合いが強まった極東の駐留軍を減らし中央アジアに移動させる一方で、財政負担の肥大から、「同盟国」という名の植民地各国に「兵役の義務」を課しはじめているということです。自民党は論外としても、その他の野党がそういうことをどうしてハッキリ言わないんですかね。やっぱりタブーなんですか、それは。しかし、現在のような情報化時代に、たとえそれがいかにタブーであってももう正直にぶっちゃけて言わないことには納得のいく「改憲論議なんてあり得ないんじゃないかと思います。情けないけど正直に言いましょうよ、アメリカ(共和党)が言うから改憲やねん」と。私としてはそこの所がきちんとオープンにされない限りは「改憲論議」、特に「国防」を声高に叫ぶ類の人々や、「押しつけ憲法だから改憲だ」*6などと言ってる人とは残念ながら相容れないとしか言いようがない、と考えています。
まぁこんなネットの片隅でこそこそと発言しても、そういう所に声は届かないのでしょうけどもね。

*1:Wikiペディアの「自衛戦争」の項などご参照下さい

*2:社民党の謳い文句

*3:民主党

*4:日本共産党

*5:島国である日本が国境を越えることを意識するなら、歩兵による占領もさることながら、歩兵師団を輸送するための航空・海上勢力が必要となります。が、現時点で自衛隊はそれを中心には編成されていません。一応自衛隊にも「輸送艦という名の強襲揚陸艇」は存在していますが、実際の運用面で言えば疑問です。

*6:今の改憲論議もまた「押しつけ」でしょう。それともそれが「自主的な国民運動の成果」だとでも思っているんですか?そういうことを言ってる人は(笑)