同じく社長夫人(笑)日記に

社長夫人日記http://d.hatena.ne.jp/reikon/20050628
に、村上春樹さんがはてな日記を!という記事があり、覗いてみました。
http://d.hatena.ne.jp/motokurashi/20050628
うわ!
ほんまに書いてはる!

……失礼しました。思わず関西弁になってしまいました。
なんていうか、思わずミーハーな喜び方をしてしまう自分をちょっと恥じつつ、でもにやにやと読んでしまいました。別に「はてなでしか読めない」というわけではないけど、昔あったサイトはリアルに体験していないので(体験できたんだけどなんとなくしなかった。アマノジャクなのです。)ネットで即、作家さんが書いたものが読めるというのが素直に嬉しいです。
それにしても、ネットだと、本で読むより村上さんの語り口が微妙に辛口な感じがするのは気のせいでしょうかどうなんでしょうか。
自分も、どうかするとネットだと普通に文章を書いて人に読ませるときより辛口に書いてたりしますが、逆にその分リラックスして(良くも悪くも)書いていたりします。文章が仕事の人ならその辺もっと細かく自己分析しつつ意識して書いておられるんだろうなあとは思うんですが、PCというのは紙と鉛筆という調和的・創造的・受動的な媒体にくらべ良かれ悪しかれ攻撃的・消費的・積極的なツールなのかなあと思いました。たとえば映像作家も、アナログからデジタルになったときそんな感覚を経験しているんでしょうかね?あるいは写真家、あるいは映像も離れて音楽家とかは?
自分の場合、PCに向かって仕事をする作業が他と異質なのは、なんとなく目の前に見えている画面がまさに「窓(Window)」であると感じるからです。その窓は常に他人に向かって開かれており、PCに向かって文字を打つ時私は目の前に誰かをおいて語っている気分になります。だから同じ文章を書くという作業であっても、紙に書く場合と違ってPCではたとえば『内省』なんていう作業は大変難しい。その代わり大量に書けます。考えるのとそう変わらない速度で書ける。これ、やっぱり大きな魅力でしょうね(漢字仮名交じりで書く日本人に取って、日本語変換ソフト+PCという組み合わせは悪魔のツールですね)。
その攻撃性・消費性・積極性をもって昨今の状況を論じる……なんてのは非常に簡単なんですが、そいつはまぁ願い下げということにして、取り敢えずその新しい性格でもって一体「今までに出来なかった何が可能になるのか」をゆっくり考えてみたいと思います。
私の個人的なアイデアとして、それは「個人が孤立した個から融合できる個へと変化してゆく」様な方向性になるんではないかと思っているのですが……とか言うとさすがに風呂敷広げすぎだな。むにゃむにゃ。