yasukanaさんに

お久しぶりです。5/16の日記(http://d.hatena.ne.jp/jo_30/20050516)に一度お越し頂きましたね。あれ以来何度か日記(グループの)を覗かせていただきました。
さて、私の政治姿勢についてのご質問とのことですが、基本的にノンポリな私としては、id:yasukana氏の政治姿勢との間にそれほどの政治姿勢の違いがあろうとは思いませぬ。どちらかといえばそれは「歴史認識の違い」ではないでしょうか。
「一国の首相が、自国の先祖を礼拝する行為に対して、外国の政治指導者に干渉されるいわれはない。」
という意見は、なるほど見た目もっともです。が、首相本人も認めている通り日本政府は公式見解として東京裁判を否定しておりません。条文の解釈や裁判の手続きをめぐって、それこそ後出しのようにそれを批判する人があとを断ちませんが、そもそも(植民地主義的)帝国主義自体が今日の世界的文脈の中で裁かれつつあるわけで、今更日本一国が「東京裁判否定」を無理押ししたところで国際的な理解が得られるわけもないのです。これは条文の解釈という政治的な問題ではなく、世界の歴史を今の時点でどのように見るかという「歴史認識」の問題です。たとえばフランスがアフリカをどのように過去食い物にしてきたか、ということと、今日フランスに生きている人は無関係ではあり得ない。そのことへの批判は当然自国内から起こってきているわけです。そのような流れの中で「かつて奴隷制植民地主義を罰する国際法などなかったからそのような批判に意味はない」などと言ったら、むしろそれは世界的な笑い者になるのがオチではないでしょうか?
http://homepage3.nifty.com/htaguchi/information-archive/040502.html
URLは、特に「戦後世代の戦争責任」論を展開している論者のものです。このサイトの管理人と私個人とは「政治的思想」においては一致しませんが、上で述べたような「歴史認識」においては共通するものがあり面白いです。
そういった「歴史認識」の結果として、私は素直に小泉首相靖国参拝を支持しません。そもそも靖国は単に日本の戦争従事者を祀る場所ではなく、国策としての植民地主義に貢献した人間を祀るために作られた場であり、植民地主義を見直すという世界的な歴史文脈から考えれば今日首相が参拝するには非常に不適切な場所だと思われるからです。「犠牲となられた方への感謝の念」とかそういうきれいな言葉で飾るのはやめていただきたい、むしろ素直に「保守派の票を失いたくないので」といえばよかろうと思います。
そしてまたそういった「歴史認識」に基づく意志のありようを、異なる「歴史認識」の所産と見ずに非難したがる人々が決まり文句のように使うキーワードとしての「自虐」という言葉に強い違和感を感じています。誰かが使ったキャッチーな用語を無批判に使用することは、その「誰か」の持っている偏りをそのまま背負い込む危険性を持ついささか不用意な行為です。私のいわしへの書き込みはその思いをベースにしています。「自虐」という「はやりの言葉」を使わずに、首相の靖国参拝『不支持』論の論拠を考察する……そういう真面目で真摯な態度を取りうるid:yasukanaさんだと思っています。
「自虐」という言葉を好んで使用する人(A)は、「日本政府の戦後数十年の歴史は、占領軍〜アメリカという巨人による外圧を背景に押しつけられた戦後民主主義という迷妄に踊らされた自虐の歴史である」という考え方を好んでいるように思われます。逆に自らのそういう物の考え方を、同じ「自虐」というレッテルで考えてみてはどうでしょう? というのが私の書き込みにこめられた皮肉です。物事はそう単純ではない。かつて左翼の人々(B)は「戦前の日本は、軍閥という巨人による影の支配によって押しつけられた植民地的帝国主義に踊らされた暗黒の歴史である」という考え方を好んでいました。物事を単純に単純に理解したがる人はそういう「超越的なワルモノ」をどこかに想定したがるようです。そして少なくとも私の身の回りを見る限り、かつて非常に素直に(B)であったとおぼしき人が、今日「真実に目覚めた!」といわんばかりの様子で(A)を主張しているケースが非常に多いのです。私に言わせれば(A)も(B)も単なる思考停止に過ぎない…というのは、ここまで読んで頂いたならばご理解頂けるのではないかと思います。そういう思考停止が社会の風潮となるのが、日本という思想風土の問題なのかどうなのか、私にはまだよく分かりません。ネットを見渡せば、そういう軽いマスコミに好まれる意見とは異なる意見が沢山転がっているわけで、必ずしも日本という思想風土に幻滅する必要もないんではないかと思っています。
以前、中国から来た学者に「日本の若者はどうして政治に無関心なのか?」とか、いかにも若者を批判するような口調で偉そうに言われてムッときて言い返したことがありました。まず「現代の若者の政治的無関心」といったニュースだけを見て、鵜呑みにするのはやめていただきたい。またそれぞれの国や時代で意志の表し方は様々です。『政治的に関心のあるフリ』をするのが受ける国柄/時代もあれば、『政治的に関心のないフリ』をするのが受ける国柄/時代もある。そもそも一体何人の若者と喋って「政治的に関心がない」と決めつけたのか? ……なんて感じのことを言って、答えては貰えませんでしたけど(苦笑)。
私は、たとえばid:yasukanaさんのような方がグループ日記で行っていることも十分「政治的関心の現れ」であると思いますし、5/16の日記で批判してしまった彼にしてもそういった存在であったことは認めています(彼にはもう少し「勉強」して貰いたかったものですが)。大事なことは、自分で考えること、そして自分で納得のいくまで調べること。そのための正しい方法を身につけること(資料批判・メディアリテラシー等)です。右だの左だの言う時代じゃないですから。今日の日本で暮らす我々のアドバンテージは、おそらく「その気になればものすごくディープな情報にもたやすく直接アクセスできる」というその一点でしょう。それを生かさない手はない。隣国の人や、歴史的に見て非常に深い関わりをしてきた周辺国の人が、今どういう歴史認識の下にどういう意識を持っているのか。少なくともTVや新聞などといった非常に質の悪いメディアの伝えないことを積極的に学ぶべきでしょう。(余談ですが、確かに新聞やTVの全てがそうとは言いませんが、情報価値という点においては今日の新聞やTVというのはほぼゴミの山も同然だと私は思います。5分で読める新書2〜3ページ程度の情報を伝えるのに平気で30分〜1時間かけるTV!同じニュースしか伝えない怠慢と、それを隠す為にあえて偏った見方をすることが「ジャーナリズム」とか「ポリシー」だと思っている新聞!)
そのように、自他共にしっかりとした「歴史認識」を作り上げた上で初めて我々は「政治」について語ることができるのではないか。そういった歴史認識批判無しに行われる政治論は私にはちょっと危ういものに感じられます。
「歴史は繰り返す」という有名な警句があります。その警句には本当は前半があると昔聞いたことがあります。正しくは「歴史に学ばない者は、歴史を繰り返す」なんだそうですね。もちろん私は、隣国の人々が100%正しい歴史認識を持っているといいたいわけではありません。そうではなく、互いの歴史認識をきちんと突き詰め合わせること無しには、互いの政治を批判することなどそもそも出来ないはずだと言うことが言いたいのです。隣国の人々の情報が制限されているのと同じく、我々日本人の情報も逆にあふれすぎて正確な情報を手に入れることが難しい現状です。相手を誤解しているのはどっちもどっちではないでしょうか。
…とまぁ、いささか長くなりましたが、私がいわしで言いたかったことをもう少し丁寧に述べるとこんな感じになると思います。いかがでしょうか?