物理的強制は「最後の手段」か?

次の言葉の原典を教えて下さい。「政治は物理的強制を最終的な保証としているが、物理的強制はいわば政治の切り札で、切り札を度々出すようになってはその政治はもうおしまいである。」
…で調べてみたのですが、さるサイトで次のような一節を見つけました。

政治団体にとっては、暴力行使は正常な行政手段ではなく、つねに最後の手段(ultima ratio) である。

これが「原典」とは思えないので回答は控えますが、この「ultima ratio」の訳は「最後の手段」で正しいのでしょうか?
たとえば、こちらのサイトでは、同じこの「ultima ratio」を

ホッブズの場合は、国家の最終的な根拠(人がなぜ従うかという根拠)は、暴力でした。ホッブズの場合は、それがないと闘争状態になってしまうから国家を作ってその闘争状態を終息しようというものでした。ですから、圧倒的な暴力が国家を成り立たせる究極の根拠(ultima ratio)であるわけです。このような国家観は、今でも軍事クーデタによって革命が成し遂げられるような場合には生き続けているといえます。

と説明してますが、どうもこちらの方が訳としては適切な感じが致します。
「究極の根拠」と日本語でいうときつく感じますが、要するに「根源」でいいのではないでしょうか。最初のウェーバーの言葉は「政治団体にとっては、暴力行為は通常の行政手段と言うことではないが、常にその根源にあるものなのである。」というニュアンスに訂正されえるべきものではないかな、と。でないと、その上の「政治的団体とは物理的強制によって継続的に保証される団体である」という定義と矛盾すると思うのですが……。

質問者さんがどこかでご覧になった言葉も、ウェーバーその人の主張ではなく、この「ultima ratio」を誤訳した人による「誤引用」である可能性があるかなと思いました。あるいは、用語は似ていてもウェーバーに関係なく、単に元々オリジナルな主張である可能性もありますが。