blog政治主義?には異論有り

 前々回の、近藤社長とひろゆき氏の対談(リンク先参照)を読んでから、あらためてブログの将来を漠然と考えていたら、総選挙特集のこんなブログが目に入った。話題は先日の「自民党がブロガーを集めて質疑」した話についてらしい。あの会議って、どうやらアルファブロガーな人たち*1を集めたものだったようだ。

会見で世耕本部長代理から「(ブログは)メディアとして、無視できない存在になっていると私たちは実感している」という発言を引き出したこと、そしてそれがネットを通じて社会中に知れ渡ったということ自体が、画期的なことなのである。

 なぜそれが画期的なのか。考えてもご覧なさい。この選挙で自民党が勝ちでもしたら、それがどの程度正しいかどうかはともかく、自民党の勝因の1つに「ブロガー対策を行ったこと」が数えられるのは確実だからだ。ネット対策など、適当に自分や党の主張を並べたホームページを作ってアップしておけばいいという「一方通行」レベルの時代が終わるのである。無数の人々によるディープな議論が双方向で交わされるネットメディアにどう対応するか、これからあらゆる選挙のたびに選挙対策の責任者が問われるようになるのだ。マスメディアとは違うもう1つの「無視できない影響力を持つメディア」が、この選挙とともに「生まれた」と言っても過言ではなくなるだろう。

by R30R30::マーケティング社会時評

こういうことを考えてるから、ひろゆき氏に「ブロガーの特権意識」を指摘されたりするのではないかなあ、とちょっと反感。さらにそこで、先日の「かわいそうなホットドック売り」の話を想起した。結局、現在の所ネットの世界は広いようで狭い(そんな風に言い切れるのは我々が相手している世界が、先の対談で指摘されていた通り日本語のweb世界に偏っているからだとも思うが)。そんな世界で「ネットを通じて情報を発信する」という行為の強度(風当たり、と言い換えても可)というものに、一般的な人は耐えられないのではないだろうか。それができているように見えるのは、これも先の対談で指摘されていた通りネットのヘビーユーザー層が「おっさんだから」ということに尽きると思う。「おっさん」には金と暇と無駄な知識と経験がある。加えて「特権意識」と「社会的疎外感」もたっぷりと。20代若者には残念ながら発信すべき情報もモチベーションも身を守る術も、時間も金も、不足しているのが現代の日本であり、日本のネット界なのではないだろうか。

【断っておきますが、これらの文言は基本的に自省と自戒を中心に書いております。そのつもりでお読み下さい。m(__)m】

 この状況を簡単に変革するなら、ネットの世界を目茶苦茶に広くしてしまうかそれとも再びネットへの参画を特権的なものに戻すか、二つの行き方があると思う。「ある種のエリート」しか参加しないPC通信はそれなりに平和であったろうし、ローカルルールも作りやすかったし、住民の自省も効いたろう。また、世界が広がれば広がるほど、相対的に「情報を発信するという行為が要求する個人への強度(風当たり)」は低下するに違いない。もちろん現実問題として両者を比較すれば、過去に戻ることは実際不可能だろうから世界を狭くできないとすれば広げるしかないし、その過程において「かわいそうなホットドック売り」のような問題は必然的に起こらざるを得ないのだ。もちろん20代若者にメディア教育を施し、必要な「強さ」を身につけさせるという選択肢は無くはない。しかしそれが可能だと考えるのは余りにも公教育に対して楽観的過ぎないか。

 少し問題がずれた気がするので上の引用に戻るが、R30氏はかように「ブログ」勢力が無視できない存在になることを歓迎しているように思える。それはつまり「ブログを使った仮想直接民主制/あるいは顔の見える政治」の実現が可能になるという考えからだろうか。それとも単純に「ブログ」の将来にとって明るい材料だからだろうか。私はR30氏が歓迎する状況を歓迎しない。「ブログ」に限らずインターネットというものが「本質的な匿名性において成立している」世界である以上、どう想像してもそれは「顔の見える政治」どころか、「みんなが覆面して過激なことを言い合う秘密結社」*2になるのがオチではないかと思えるからだ。人間の体温・温もりが存在しないシステムは必ず破綻する。これは自分が漠然とではあるが信じている一つの事実だ。ブログが目指すべき未来は、そのような短兵急な「政治権力への影響力獲得」などといった方向にあるのではなく、もっと地道に「信頼をシステム化する」ような方向にあると思う。
 たとえばR30氏も、「ブログ有名人」ではなく「有名人ブログ」がもてはやされる風潮を良しとはされないだろう。ブログの世界で地道に積み上げた信頼こそが重要だと考えておられるのではないか。だとすれば、そんなに急いで「ブログの権力化」を歓迎するという方向に疑問を差し挟んだりはされないのだろうか?私は政党などがブログを「利用」して民意を集めるフリをしたりすることを好まない。もしブログが選挙と関わる正しい道は?と聞かれたら、「ブログ界には誰もが必ず匿名で参加する。候補者が全て一定の領域でブログを開設し一人の匿名ブロガーとして信頼を得る道を選び、一定の信頼を得ることのできた人が国会議員になるというシステムを、現行の選挙とは別に(たとえば全議員の10%はそのようにして選ばれるというやり方で)つくることかな」と答えます。ブログの世界にはブログの世界の「信頼を醸成するやり方」がすでにあるわけで、そこに世俗を用いて無理矢理妙なやり方で入ってきて人気をさらおうとしたり利用しようとしたり儲けようとしたり…というのが私はどうも気に入らないのです。いってみれば有名人が自分のブログでアフィリエイトやってるようなセコさを感じます。そういうモノじゃないのでは?と。そういう傾向を「有名人が認めた!ブログはお金になる!」って賞める気には、とてもならなくありませんか?今回のR30氏の論に感じた違和感を一言で説明しようと思って随分長くなってしまいましたが、つまりそういうことなんです。

*1:ブログ界で様々なリンクやトラックバックを集めることのできる中心的な意見やトレンドの発信者のことらしい。

*2:本日の画像参照