メディア・リテラシーが必要だ!

こんな質問を見たquestion:1146734977
質問者及び質問にどうこうというよりも、質問者があげている「自民党プロジェクトチーム」の偏りがちょっとどうなのか、と思わされました。
実例としてあげている「実技教材人形」とやら、TVでセンセーショナルに取り上げられた(らしい)頃に有名になった(らしい)けど、これはこちらの國民新聞さんが指摘している通り都立七生養護学校で使用されたモノであって、ジェンダー・フリーとは何の関係もないシロモノだというのは誰でも知ってる事実なんだと思ってたんですが。
仕事柄、養護学校の先生と話す機会があり聞いた話では、性情報の氾濫の『被害』を受けやすいのは当然社会的弱者であり、従って小さな子と同じく養護学校の生徒が性被害に遭うことはとても多いらしい。それを防ぐために、性教育を行う必要があるがテキストなどを使用しても説明が難しいためそういう教具が必要になる。それだけのことであってこれは「子どもへの過激な性教育」とかそういうもんでは全然無い。……という、そんな話には一切触れずに「東京都などで実際に使われていたもの」とだけ説明し画像をのせるだけ。「東京都」まで分かっているなら、その出所も知らないわけはないでしょうに。これ情報の出し方としては相当悪意のある類だと思います。
(追記:これらの問題点について、質問者さんが「参考リンク」としてあげたまとめサイトの製作者さんのインタビューがこちらにありましたので、ご参考まで。)
また、小学生に対する性教育の問題一つとっても、そもそも社会全体に「子どもを商品化し欲望の対象とすることを肯定する風潮」を是として放置しながら、*1それに対して身を守る方法を教える現場の指導をただ闇雲に否定するのはいかがなものでしょうか。小学校の教育に口を出すのも必要でしょうが*2、発想が非常に対症療法的で、とりあえず教師叩いておきます、みたいな「受けのいいような、口当たりのいいような」ことを言っておけばいいや的な発想が見え隠れします。本当に「子供は社会の宝」という観点をこれらの方々がお持ちなら、党利党略や政治の観点でなく国家百年の大計に則って「子どもを大切にする社会」の構築を目指し、「先のような風潮をこそ厳に取り締まる」という位の「受けは悪く口当たりも悪いが絶対必要なこと」を推し進めて頂きたいものです。たとえば10代のアイドル全面禁止とか。
あと、まあ「教育現場でのジェンダー・フリー(性差否定)」というカッコ書きも、とても「ジェンダー・フリー(性差に縛られないこと)」を理解してのカッコ書きとは思えないわけですが…。
とにかく、こういう公的な立場の人及び集団が、公にこういうリテラシーを欠いた*3いいかげんな行動を取るのはホント勘弁して欲しい。彼らには十分お金もあり人手もあるのだから、人の見本…とまでは言わなくてもせめて責任の取れる言動を取るべきで、匿名掲示板の煽りレベルの情報を垂れ流すべきではない。こういう無駄な時間や金、手間は、もっとまともなことに使用して頂きたい。ハッキリ言って自分の中で、件のページにでかでかと顔写真を晒している某有名議員の人間性に対する信頼はこの件で大幅暴落しました。ひどく残念です。

(追記)
質問に続編が出たようで、メモしておきます。
question:1147633414
question:1147633214
質問者さんは「ジェンダーの基本的な考え方は理解している」と述べておられますが、こういうページ(「ジェンダー・フリーは性差否定(ジェンダーレス)になる!」)を普通に参考リンクとしてあげておられるところを見ると、いささか疑問です。『ジェンダー・フリー批判者』にも『ジェンダー・フリー擁護派』にもひとしくその用語を理解しない人々が存在するのは事実ですが、「理解している」と主張するなら、この「参考リンク」先の指摘のおかしさも「理解」していないといけないのではないでしょうか。

まず「ジェンダー」というのは、社会的、文化的、心理的な性差のことである。

ここまでは正しい。次に

 一方「ジェンダーフリー」というのは、最近のジェンダーフリー推進派の説明では「ジェンダー」を「男女の自由な生き方を枠付けして圧迫するもの」と規定した上で、このジェンダーにとらわれることなく「自分らしく」生きて行こうというものである。ついでに書いておくと、ジェンダーフリー推進派は、「ジェンダーフリーは性差否定ではない」とも言っている。

ここも正しいです。展開が怪しくなってくるのはその次で、

しかし、このように規定してもジェンダーフリーは必ず「ジェンダーレス」になる

 理由は簡単で、性別(身体的性別=セックス)に関係なく選べるものは、定義上「ジェンダー」とは呼べないからなのだ。

というあたりは、思わず首をかしげてしまいます。
ジェンダー(文化的性差)」というのは、明らかに「身体的性別(セックス)」とは異なる概念であり、「身体的性別に関係の無い性差」というのは「ジェンダー」の定義そのものだと思うのですが、どうしてそれが「定義上ジェンダーと呼べない」ということになるのか?書き手の「ジェンダー」理解がいかがなものか、と首を捻らざるを得ない所です。その説明の例をみると更におかしい。

 たとえば自動車を買うのに、ホンダを買うかトヨタを買うかという事は、性別とは関係ない。「アタシは女だからホンダを買うわ」とか「男ならニッサンじゃなければおかしいじゃないか」という人はいない。つまり、こういうのを「ジェンダー」とは呼ばない。この例と同様、「ジェンダーにとらわれることなく」というのは、要するにジェンダージェンダーでなくしてしまえということであって、「ジェンダーレス化」に他ならない。

「アタシは女だからホンダを買うわ」とか「男ならニッサンじゃなければおかしいじゃないか」とか、もし言う人がいたらそれは明らかに「社会的に作られた性差(ジェンダー)」だよ!というのが、上の定義から導かれることであって、もしそんな話が出たら「バカじゃないの、そんな窮屈な考え方(ジェンダー)にとらわれる必要ないよ(フリー)」と誰でも言うでしょう。これは荒唐無稽な例でなく普通にありうる話なのは、「ホンダ」を「軽自動車」、日産を「スポーツカー」に置き換えてみればわかる。実際にその件に関しては、今や「多様化」が叫ばれる時代の趨勢として「女の子がスポーツカーに乗ったって良いよね」と考える人が増えてきたわけで、それがジェンダー・フリーってことなんですよね。こういう基本的な理解を欠いたまま批判する側もどうかしているし、そういう人が「誤解したままジェンダー・フリーを主張しているつもりの人」を批判している構図は二重の意味で問題だと思います。好意的に考えてみれば、このページの作者さんは身近な「ジェンダー・フリー推進派(実は誤解に満ちた人々)」と、ジェンダーフリーという思想そのものをごっちゃにして批判しているのではないでしょうか。
性差に対するある一つの社会的な規範が「身体的性別に基づく必然の区別」なのか、「迷信に等しい思いこみが継続し、もはや継続させる必要もない無意味な区別」なのかを見分ける為に「ジェンダー・フリー」という視点があるわけで、結局それは「その性差には意味があるでしょうか?」というただの疑問(ツッコミ)です。だから、仮にある「ジェンダー(社会的・文化的なつくられた性差)」が存在しているとして、それを絶対視することなく自覚しているというのであれば、ある個人が一つの好みをもっていることをとやかく言う必要などないし、また社会的・文化的な規範として万人が事実そのメリットを享受しているときあえてそれを撤廃するために動く必要もないでしょう。ただしその際、その「ジェンダー」に苦しむ少数者がいるかもしれないということには常に注意を払っておくべきだとは考えますし、そういう視点が持てるのがジェンダーフリーという思想の優れた点だと思います。
ジェンダー・フリーはこのような「一つの疑問の為の視点」として有効な一つの発想なのであって、「全ての性差を解消する為の社会変革運動」だとか誤認してシャカリキになる必要はないし、従ってシャカリキに叩く必要もないものです。というか、それは本来「頭の柔らかい人から見れば当たり前の考え方」なんですよ。
最後に、先のページから、

ここで名前を挙げた、江原由美子大沢真理上野千鶴子といった人たちも、ジェンダーフリーを誤解しているというのか。私は逆に、この点についてジェンダーフリー論者の意見を聞いてみたい。

誤解してるというより、彼女らは彼女らの主張を広める為の一戦略としてジェンダーフリーという言葉を利用しているだけであって*4、彼女らは誤解しているのではなくただジェンダー・フリーという言葉を都合良く利用しているに過ぎない。彼女らをジェンダー・フリー論者だと思っているという点が、そもそもこのページの作者がジェンダー・フリーという言葉を理解していないことを如実に示していると思います。

(更に追記)
リンクした責任上元質問に対しても言及しますが、まさにそういう「○○という思想に囚われない柔らかい頭で見て」あきらかにおかしな(何か変な原理主義としか思えないような思想に凝り固まった)人によるおかしな性教育の事例を叩くことが悪いとはサラサラ思いません。私が上のようなことを書いたのは、例の質問文を読んで「ジェンダー・フリーという穏当な思想を誤解する人々」がますます増えるのではないか、という配慮からです。前回は「ジェンダー・フリー行き過ぎ」と書かれていましたが、今回は「過激な性教育ジェンダーフリー」と併記し(リンク先のタイトルと合わせてみれば、『過激な』が、前者にのみかかるようには読めません。)ジェンダー・フリー全般を批判の対象にしておられるように感じたので(参考リンクにジェンダーフリーを肯定する系のページを載せておられる以上、凝り固まった発想の方ではないなと感じていますが)、付言させて頂いた次第です。ご意見等ございましたら伺う準備はあります。なお、当該の「いわし」で上記のような長口舌をふるうことが適切かどうかに確信が持てなかったので*5、リンクという形をとらせていただきました。

(追記3)
毒を食らわば皿まで…ではありませんが、上記質問に関する質問(http://q.hatena.ne.jp/1147794039)にも答えてみたりした。この件に関してはTBを辿ってこんな(ある意味健全な意見の)エントリもみたので追記する。
morioXのもくもく日記
この日記作者さんは、性教育の健康教育としての価値を認め、ジェンダーフリー(正しい意味での)の考え方を認めつつ、それでも次のように提言している。

ただ、あえて言うなら、ジェンダーフリー教育の導入と並行して、男の子として、女の子として社会でうまくやっていくための作法についても、教育に取り込む必要があるんじゃないかとは思う。たとえば、男の子としては女の子にどう接することが好ましいのか、とか、女の子としては男の子にどう接することが好ましいのか、といったことだ。凝り固まった考えをほどくことそれ自体は意義のあることだけど、社会で生きていくうえでは、凝り固まった考えの人とうまくやっていく上で、適切な作法を選択できなければ、結局損をするから。

これを要するに「社会的な偏り(バイアス)それ自体の存在も認めないと、社会で生きていく時に問題が起きるのでは?」という指摘だと思う。
もちろん最終的には「国の教育は理想を目指してほしい」と結ばれるわけで、おそらくmorioXさんの主旨は「社会的バイアスを学校で拡大・固定化せよ!」なんていう物では全然ないのだと思う。*6特に、現在の親世代であれば、首都圏はともかく田舎では、まだまだそういう「社会的バイアス」に苦しめられた世代なんじゃないだろうか。それを再生産せよと言う主張にはなりようもないはずである。
しかし、現実問題としてmorioXさんの主張は非常に理解できるしすべきものだ。たとえば新入社員として会社に入ったとき、実際の職場で手の空いている男子社員がいるのに仕事してる女子社員に「お茶汲んで」と言われることがあり得ないかというと、明らかにそんなことは無いからだ。そこで「どうしてお茶をいれるのが女性の役割なのか!」とか上司に一席ぶつよりも、そもそも言われる前にさっと仕事を終わらせてさっとお茶も淹れたりなんかする方が「上司受け」は良いし「賢い」生き方かもしれない。これはあくまで一例に過ぎないが、身の回りの「賢い」女性の働き手たちはおおむねそんな風にこの社会の「ジェンダーバイアス」を受け流しながら*7生きているし、そういう人の実感としてならmorioXさんの主張は非常に理解できる。ではmorioXさんの言うとおり、この社会の現実を教育していくべきなのか?というとそれもまたいかがなものか。余り良い喩えではないかもしれないが、たとえば小学校の社会で「選挙は個人の考え方で投票し、個人ではなく社会全体に必要と思うように行動する『のが基本ですが、大抵は言うことを聞いたりしてくれるつながりのある議員さんに投票するように会社では求められたりします』」なんて教えるべきだろうか?それは正確な知識だが、そう育てられた子供が良き社会人として成長することが期待できるだろうか?それと同じで、「知っておいた方が波風立てずに済む社会の常識」を学校で教えるというのは色々問題もあることだ(そしてもちろんmorioXさんもそのことは十分に分かっているのだと思う)。厄介なのは、小学生には投票権がないから小学生には選挙の「理想」だけを教えておけばまあいいのだけど、小学生に「性の現実」を突きつけてくる(性的対象として向かってくる、だけでなく、自らのジェンダーバイアスを教え込んでくるような、という意味を含めて)困った大人は現実社会にいくらでもあるということだ。そのあたりにmorioXさんの心配もまたあるのではないかと思う。これは確かに厄介な問題である。どうしたものやら。
ちなみに、もしmorioXさんの所から飛んできた人がいたら、こちらの質問(http://q.hatena.ne.jp/1147794039)と私の回答(まだ開かれてないけど)も良かったら読んでみて下さい。

(果てしなく追記)
大変参考になるサイト、成城トランスカレッジさんへの批判者を批判してるこちらのサイトにコメントを書きました。基本的に賛成意見として、またそこがウォッチしている「バッシングする人の根拠を探している」情報が上にあるのでTB飛ばしておきます。

*1:たとえばプ○・エ○ジェル(小学生売春組織)事件のその後はどうなったのか。報道に規制がかかっているという噂はネット上で絶えませんが結局闇から闇に葬られて終わりという印象です。参考:http://www8.atwiki.jp/youtheshock/pages/16.html

*2:それだって何のためにPTAがあるのか、親と教師が教育について話しあってこそのPTAではないのかと思うのだが

*3:あるいは分かってやっている=悪質な利用をした、というべきか。だってまさか知識が無いわけじゃないはずなんですから。

*4:難しく言えば彼女らは、ジェンダー分析を一つの手法として用いたラジカル・フェミニストであって、「ジェンダー・フリー主義者」でもなければ「ジェンダー・フリー論者」でもない、というのが正しいでしょう。

*5:そのツリーが元質問の主旨から逸脱する可能性が高かったので

*6:そう誤解されて批判されかねない危うさのある書き方だと思い、少し心配になったのでTBしておくことにしましたm(__)m

*7:簡単そうに書いているが、これは無茶苦茶大変なことだ。