ついでに考える『教育改革』

…というほど大した物ではないんですが、「おとなり日記」を辿るとこんなページが。
富柏村香港日剰
以前から何度か書いたことですが、「行きすぎた戦後民主主義教育=超個人主義教育の破綻」というのは一種の神話ではないかと思ってます。
戦後民主主義教育をどっぷり受けた世代として言わせていただければ、今あちこちで批判されているような…というわりには実在するかどうかも定かではない奇妙な教育風景とされるシロモノ…曰く「徒競走で手を繋いでゴール」「呼称は『さん』で統一」「ドリルをやらせたり補習させるのは『体罰』」…の類は、90年代以降に目標を見失って行きくれた社会が生み出した迷走劇の一幕であって、少なくとも80年代半ばまでは左翼教師だってそんな奇妙な主張は繰り広げてなかったように思います。そんな90年代以降の風景に『戦後民主主義』という名前を付けて批判するのはいかがなものでしょうか。私は単に「教育版バブル崩壊」…とでもいった風景に過ぎなかったと思うのですが。その意味で、今必要な「教育改革」とは、「教育版失われた10年」を取り戻すための「教育版不良債権処理」なのであって、「教育版バブル崩壊」の時代に教育を立ち後れさせ日本の教育を崩壊させかけた「デモシカ」の方々を一掃……とまでは言わないでも大規模リストラに着手することではないかと思われます。ただし、本格的な公務員リストラにかかれば社会的パニックや反撥は必至。その意味で「受け皿を作りつつ」「教員の給料を上で頭打ちにしていき」「かつ勤務条件を悪化させ」ている現在の教育施策は、人員の流出をはかるという意味で一つのやり方なのかもしれません。ただし問題もあって、自発的に流出するのは行き場があったり能力があったりする優秀な人からが先ですよね、普通。使えない人ほど教育現場に居残りを図り、かつ勤務条件の悪化を口実に日常的なサボタージュを繰り広げることになる。その煽りを食ってやる気のある若手教員が過重な仕事で潰れていっては何をしているのか分からない。「教育版構造改革」がなかなか進まないのはこの辺に一つ原因があるようです。
とりあえずリンク先の

教育基本法改正して社会の若者とりまく問題が解決できるとはちゃんちゃら可笑しい話。

という台詞にはグッと来ますね。視点も立ち位置も多分このサイトの管理人さんとは異なるとは思いますが、ことこの点に関しては多いに同意です。