教育基本法について

「世に倦む日日」さんには「反対って遅いよ!」とか「左翼はその前にビョーキ治せ」とか「反対したい奴は民主党を批判しろ」とさんざんに書かれていて、それはもう全くその通りだと思う今日この頃。だって民主党案にまで「日本を愛する心を…」とか書いてあるわ、自民党案には「男女共同参画」があらためてうたってるわ、じゃ、一体誰が誰に何を反対してるんだかさっぱり分からないですし。
改正の要点比較は成城トランスカレッジさん作成のこの表がとても丁寧だ。これを見ると、改「正」案が非常にイヤラシイ修正を加えていることがとてもよく分かる。


前文について
全く無限定に重視されていた「個人の尊厳、真理と平和、そして文化の創造」は、『自民党改正案(以下自民案と略)』では「世界の平和…を実現するために、個人の尊厳、真理と正義、公共性…」などと置きかえられている。「人間一人の命は地球より重い、と書け」、とまではいいませんが、そういう精神を前提にしなくては本当の所この民主社会は成立しないはず。「個人の尊厳」とはそのように無限定に前提されるべきものです。もちろん「私」が社会の上に成り立っていることは当然であり一個の「私」がこの社会を尊重するのは当然のことですが、それでも「私」の損失は何によっても償われないという事実。従って社会は「私」に全体への過剰な貢献を強要することはできない――たとえば、凶悪なテロリストが私欲のために爆弾を抱えてたてこもり、「オレの指定する『善良な市民』を一名オレの好きにさせれば爆弾を捨てて投降する」と主張したとして、そんなテロリストの言い分を通すことは絶対にあってはならない――そこを違えることは、今日までの我々の社会の歴史を否定するも同然の所業です。自民党のお歴々は「個人」という言葉にどうも妙な偏見を抱いているとしか思われない。こういう条文を通すことは非常に危険です。かつて大正時代に「社会」という言葉を嫌い軒並み検閲対象にした笑うべき過去が、今日「個人」という言葉へのこういう警戒心に現れているようで、げっそりします。


第6条→9条「教員の身分待遇」
特に、さりげに恐ろしいのがこの変更なので、ちょっと詳しく見てみる。

2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。(現行法第6条)

1 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。(自民党案)

ここでも、無限定に「身分尊重、待遇の適正」がうたわれていた教員に対して、「自己の崇高な使命を深く自覚し、…職責の遂行に努め」る教員「については」「身分の尊重、待遇の適正」という風に、限定有りに変わっている。これは、良く言われる「愛国心条項」などよりも使い方次第では恐ろしい条項なわけで、この条文が通ったら、事実上教員の身分保障というのは全く無くなるも同然であることに注意すべきだろう。多分、今すぐこの条項を適用するほどの無茶は通るまい。しかし、「崇高な使命を深く理解」してない教員はとっととクビにするんだもんね、的なこの変更がもたらす意味は、じわりじわりと効いてくるだろう。公に、教育現場の偏向に反対する教員が指導されることが問題なのではなく、偏向に反対しない人が増えること、反対しないことが(基本法に示されるように)正しい教員の態度なのだと誤認しはじめることこそが恐ろしいのではないか。


結局、細かく見ていけば教育の現場にこういう「徹底管理の思想」を埋め込むのが今回の自民党案の骨子であるということをよく考えておく必要がある。「愛国心」条項なんて、ひょっとしたら単なるエサに過ぎないのかもしれないよ?教員諸君。


第10条
以上を踏まえてこの条項を見ると、なんだか「ありゃりゃ」と笑いたくなる修正が第10条には加えられている。

1 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。(現行法)

1 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。 (自民党案)

些細な変更に見えるが注意しておきたい。
現行法の「不当な支配の排除」は、明らかに、権力などによる「偏った政治・思想・宗教による支配」を廃し、可能な限り教育が直接民主制的に運用されることの優先を歌った理想的条項だと思う。「国民全体に対して直接に責任を負う」ということは、教育を受ける国民自身の声を最優先しなさいよ、ということを言っているわけだ。たとえば国が自らの都合で「○○を教えなさい」と言っても、国民が全体として反対したらそれは教育の場では許されないということだ。その意味で、この条文は、権力の暴走を牽制するとともに、教育を見守る国民の自身の責任の重要性をうたった条文だったとも言える。
それが自民案では、するっと「国民の責任」を思わせるような部分を排除し、しかも後半でちゃっかり「国と地方の協力の下、公正かつ適正に…」と、国と地方は公正で適正であり、決して不当な支配をする主体ではないとあっさり規定しているみたいだ。これはホントに笑ってしまうしかないことで、ほんの少し条文を変えることで、自民案は「国民は無責任に国と地方のやり方を見てれば良し」というか「(国や地方以外の)他の団体が口出しすることは許さんもんね」と言ってることになるわけだ。つまりこの自民案における「不当な支配」って何?って考えると、たとえば「全国PTA協議会」とかが、教育の内容に口出しすることを指してるとしか思えないということになる。つまり、権力の暴走をいましめる条項が、いつのまにか権力の暴走を規定し、国民に文句を言わせない条文にすり替わっている。こんな変更を悪意でなくやってしまったのだったとしたら、作成者の脳天気さというか偏りは致命的なレベルにあると思うが、まあ残念ながらこれは多分悪意なんだろう、やっぱり。*1


そんなわけで、世に倦む日日さんに背中をおされたような感じで、あらためて「教育基本法改正反対」を今さら訴えてみたりすることにした。「左翼ブロガー」は決して民主党批判してないわけでもないし、黙っているわけでもないです、とちょっとアピールしておきたい。


(追記)
…とか肩肘はったエントリ書いても、こういうエントリのシャープな言葉には全然かないませんね。

4 教育基本法愛国心
 国を愛するって言うけど、具体的に何を愛すればいいの?土地?政府?日本の人間?
 じゃ、たとえばなんだかわからない「国」って概念を愛してみたとして、でも俺たちって片思いじゃん。だって、国から愛されてないよね。
Jiveの「そういう風に思っていないわけでもないが。」

…うまいこと言うなぁ。

(追記)
今さらのように(ほんとに今さらだけど)STOPコイズミ!のブロガー同盟に賛同します。

*1:この辺は、成城トランスカレッジさんのツッコミでも指摘されている。また、こちらhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060910/1157842893http://takeyama.jugem.cc/?eid=679 にくわしい解説がある。