英語バージョンの出来

「君が代」替え歌流布?(産経新聞)
お陰様で、初めて知りましたm(_ _)m。産経新聞ありがとう。


まぁ確かに「陰鬱な抵抗」かもしれませんがそもそも「起立して歌うことを強制」する側はもっと陰鬱な権力の行使をしてるわけで、陰鬱な人と陰鬱な人が陰鬱な争いを繰り広げる陰鬱な展開を陰鬱な新聞が陰鬱に報道して読む人を陰鬱にさせているという壮大なマッチポンプ。日本にはこういう陰鬱なことしか考えられない人間が首長を務めたり社会の公器を装って声高に陰鬱思想を喧伝する大都市があるそうで、大変ですね。

 歌詞の意味は難解だが、政府に賠償請求の裁判を起こした元慰安婦と出会った日本人少女が戦後補償裁判で歴史の真相が明らかにされていくのを心にとどめ、既に亡くなった元慰安婦の無念に思いをはせる−という設定だという。皇室に対する敬慕とはかけ離れた内容で、「国家は殺人を強いるものだと伝えるための歌」と解説したホームページもあった。

なんか、妄想を暴走させてヒステリックになってますね。別に誰の事とも何の話とも書いてないのに、勝手に「慰安婦問題」から「日本の戦争犯罪」にまで触れた上で、おまけに君が代皇室に対する敬慕の歌だと断定してます…。こういう調子乗りの提灯持ちが「マスコミ」を名乗ってそのあとに膨大な「世間」の群れがついていくという構図は、5月8日のエントリで書いたローレンツの著作にまたまたこれとよく似た事例が載っているので、興味ある人は読んでみてください。


ちなみに国の公式見解がどうなっているかというと、それはこちら。

君が代の歌詞は、平安時代古今和歌集和漢朗詠集に起源を持ち、祝い歌として民衆の幅広い支持を受けてきたもので、『君』は相手を指すのが一般的で、必ずしも天皇を指しているとは限らなかった。明治時代国歌として歌われるようになってからは、大日本帝国憲法の精神を踏まえて、『君』は天皇の意味で用いられた。終戦後、日本国憲法が制定され、天皇の地位も変ったことから、『君』は日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく天皇を指しており、『君が代』とは日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とするわが国のことであり、歌詞もわが国の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解することが適当だ。/『代』は本来時間的概念を表すものだが、転じて『国』を表す意味もある。(平成11年6月29日衆院本会議、内閣総理大臣(当時)小渕恵三の答弁を要約)

わずか7年前には、まだこの国もこの程度には冷静だったんですけどね。