記事の不可解さは日本語の問題なのか?

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<警官発砲>職質に2少年抵抗、17歳が重傷 静岡・御前崎

 10日午後9時ごろ、静岡県御前崎市新野の茶畑で、少年2人に職務質問をした警察官が2人に抵抗されたため拳銃を2発発砲。うち1発が御前崎市に住む県立高校3年男子生徒(17)の左脇腹を貫通し、重傷を負った。県警菊川署は男子生徒と同市の土木作業員の少年(17)を公務執行妨害容疑で現行犯逮捕した。拳銃の使用が適正だったかについても調べている。
 菊川署によると、同日午後8時20分ごろ、近くの住民から「シンナーを吸っている少年がいる」との通報を受け、同署御前崎交番の小倉和彦巡査部長(51)が現場に出動。職務質問したところ土木作業員の少年に後ろから羽交い締めにされたうえ、男子生徒に十数回殴られた。このため巡査部長は「やめろ」と警告し、地面に向け威嚇発砲。しかし、男子生徒が再び殴りかかってきたため、巡査部長が制止しようと拳銃を正面に向けたところ誤って2発目が発射されたという。
 2少年は発砲から約10分後に駆けつけた警察官4人に取り押さえられた。発砲の経緯について同署は「詳しい事情を調査中」としている。【舟津進、望月和美】
毎日新聞) - 7月11日1時47分更新


別に、拳銃の濫用がうんぬんとか言いたいわけではありません。もちろん警察官が拳銃を濫用して良いとは思いませんが、銃を持ってる相手に対しそれを使わせるような状況に追い込む方もどうかしていると思います。銃→警告→警告無視して暴力→発砲→関係者が警察批判、なんて流れは、暴走行為→追跡→事故→遺族が警察批判…という流れと同じで基本的にはウンザリです。後者の場合も、警察に止まれと言われて必死で逃げるような人生を送ってる時点でまず間違ってないか?と思うわけで。


ただ、このニュースにひっかかったのは、あまりにも日本語がよく分からないから。

後ろから羽交い締めにされたうえ、男子生徒に十数回殴られた

状況で

「やめろ」と警告し、地面に向け威嚇発砲

これがまずよく分からない。後ろから羽交い締めにされていたのに、どうして銃が撃てるのか?本当は羽交い締めになって無かったんでしょ?と。ただ、多分暴行はあったんだろうし、それが明らかに度を超したものであったのも事実なんでしょう。ちょっと脅かされた程度ですぐ拳銃を抜くほど日本の警官のモラルが低いとも思わないですし。なのに、なぜ「羽交い締めになって10数発殴られ…」などという無闇と被害を強調した結果、物理的におかしなことになる書き方をしなくてはならないのか。


そして、こちらは別の理由でよく分からない。

再び殴りかかってきたため、巡査部長が制止しようと拳銃を正面に向けたところ誤って2発目が発射

「制止しようと拳銃を正面に向けた」のは「発砲の意志表示/警告」なわけで、それを無視して殴りかかってくる相手を制止する実行手段は、残念ながら「実際に発砲するという行為」でしかないことは理の当然。それを「誤って…発射」と言わなくてはならないというのは、あまりにも奇妙な論理であり滑稽である。「カッとなってやった。まさか死ぬとは思わなかった。今は反省している」と同じ責任逃れのフォーマットなんでしょうが。


もちろん、他の場合ならそれが「責任逃れ」だといってあながち責めようとも思わないかもしれません。誰だって自分の身がかわいいだろうし負わなくてもすむ責任からはなるべく逃げたいのでしょう。しかし、小倉和彦巡査部長(51)は、引き金をひくとき本当はそこで責任を負う道を選んだのではないのでしょうか。たとえ非難されても今は引き金を引くべき時だと思ったから引き金をひいたんではないのでしょうか。「誤って」と報道されることは本当に彼の真意なのでしょうか。私にはそうは思えないのです。そしてまた、これを「誤って」で片づけようとすることが本当に良いことなのか。そう報道されることで(また報道する側もそれ以上追求しないことで)何が守られ何が失われるのか。


『銃を持っている警官は、場合によったら発砲することがあります。』…というのが当たり前だという常識は、きちんとアナウンスし教育されるべきだと思います。もちろん慎重に、あくまで慎重に運用されるべきであることは当然としても。