近頃話題の「子猫殺し」問題に思うこと

こういう問題を「理屈」で論じること自体に問題を感じます。ちっとは論語でも読め、と。

孔子にある弟子が質問した。
 「親が死んで喪の期間が3年間と言うのは余りに長いと思います。
  1年ではいけないでしょうか?」
孔子は弟子の顔を見て言った
 「お前は1年もたてば綺麗な着物を着て、旨い物が食えるのか?」
弟子は答えた
 「着られるし食べられますよ。」
孔子は答えた
 「そうできるならばそうするが良い。しかし君子というものは、
  親が死んだら3年間痛切に張り裂けそうな想いを胸に抱いて、
  綺麗な服を着ても楽しくなく、旨い物を食っても味を感じないものだ」

色々と理屈をつけようが「正しいか正しくないか」ではない。したいかしたくないか、でもない。「できるなら」するがよい。私は「できない」から、しない。しかしそもそも「そんなことができる、ということ自体が問題」なんじゃねぇの、と。