静かに思うこと

雨は世界に降る。雨を厭う人間もいるが降って良かった、と心の底から思っている人もいるだろう、虫もいるだろう、植物は沢山いるだろう。雨が降ったお陰で二人きりの時間をゆっくり過ごせた照れ屋な二人だっているだろう。雨が降ったお陰で花粉症が少し楽になったと一息ついている人もいるだろう。体育祭が中止になって喜んでいる小学生だっているだろう。
GoogleEarthの新しいバージョンをインストールして、地上数百㍍をゆっくりと下界を眺めながら飛行気分。3Dモードを試しつつ自宅の近所からはじまって都会に行き外国に行き……そしてゾッとした。ああ、もし自分が神の視点を持ち得たとしても、とてもこの膨大な情報量を集積して処理することなんてできやしないだろう。たった一人の人間の苦しみを理解するのだって、我々は何ヶ月も何年もかかって、それでも理解できなくて歯がみしていたりするのだから。
雨は降る。それでも雨は万人に降る。まるで神のように。雨は何も考えていはしない、そして誰の肩にも平等にそっと足跡を残す。泣く者もいるだろうし慰められる者もいるだろう。呪う者もいるだろうし感謝する者もいる、全くの無関心に対してすら、雨は何も考えはしいない。しかし雨が何かを僕らにもたらしてくれることも、また事実だ。その巨大な無感動と無関心、そして圧倒的な力。
自然は比喩の宝庫だ。「神」とはそのもっとも上手い比喩ではないか。