教基法?

現場が従わない場合の強制力について?
この人らは何を考えてるんでしょうね。現場が従わないのは「政治的闘争のせい」であり、つまり一種の狂信であって、そこには何の合理性も無いと思っているんでしょうか。いるんでしょうね。上に立つ人間が、自分なりの主義主張を持つのは結構なことですが、下の人間の意見を聞かないとロクなことになりません。
たとえば外国籍の生徒が担任しているクラスにいる教師は、その生徒の思想・信条の自由を守ってやる為に何をすればいいのでしょうか?
個人の選択の結果としてでなく(たとえば在日の三世、四世として生まれ)国籍のない国において、その国の公的サービス(この場合公教育)を受けざるを得ない事情が発生することは起こりうることですし、その場合その人間に、当該国の国旗や国歌に対して「無視」以上の態度を示せとする合理的な根拠はあるのでしょうか。あるとすればどういう根拠でしょうか。たとえば出張でアメリカに行っているサラリーマンは、強盗にあって警察に訴えようとしたとき、星条旗よ永遠にを歌ってアメリカ国旗に礼をしなくては受け付けないよと言われたらどう感じるのでしょうか。そんな国が本当に近代国家ですか?
その意味で私は、「歌いたくない・歌わないし礼もしない」というかかる生徒の主張には合理性があると考えます。従ってこの場合「説得」という方法はあり得ない。「お願い」は可能かもしれませんが、相手に合理性がある以上「説得」はできませんし、それを踏まえて「お願い」以上の手段を取るとすればそれは限りなく「強制」に近い行為になると思います。少なくとも「自分以外のクラスの全員も、担任教師も」という状況は、その生徒にとって限りなく強制以外の何物でもないのではありませんか。それで彼の「思想・信条の自由」を守ることができますか?
「教師への強制手段」を考える人々は、生徒への強制にも当然無自覚な人々だと思います。そういう人が上に立ち「同化」への圧力を強めるとき、日本社会がその末端においてどういう姿を見せるか*1……まさか分からないと仰る人々ばかりではないと思いますが……。
とりあえずこの人々が「優秀な教師」と考える教師ばかりがいる学校がこの先できるとすれば、私はそんな学校にこどもを通わせたいとは全く思いませんね。
「教師に強制できる法律制度を!」…って、それは既に教基法ではなく、洗脳のための法制度であり凶器法であり狂気の法です。

*1:先日の「自殺クラブ」の話:http://d.hatena.ne.jp/jo_30/20061107/1162870974をご参照ください。