論理と神の不和

question:1176906807
まず、質問者が知りたいのは、唯一神・絶対者としての「God」の存在証明なのか、それとも単に超越的な存在者、必ずしも物質的ではないところの始原者としての「神」の存在証明なのか。更に、これまでの「神の存在証明」にまつわる様々な論を踏まえた上での質問なのかそうでないのか疑問がある。(既にコメントでもid:hishimaruさんによってチェックされてるけど。)
そして、
後者(「神」)についてならば「神の存在証明」でググればいくらでもそれに類する議論を見つけることができるだろう。曰く「存在を序列化すれば最高の存在に辿り着く=神」とか、「存在(運動)を遡れば始原者が存在することは自明=神」とか、ひどいのは「不在の場合期待値はゼロ、しかし存在する場合の利益は無限大=期待値は無限大」とか。ただいずれの場合にもその「証明」には欠陥があって、それは「神の存在」を証明する前に「神」を前提にしている「我々」の存在を証明しなきゃならないってこと。しかし我々自身に我々自身の存在を証明することができるだろうか? 夢の中で夢の中の登場人物が自分の存在を証明しようとしたとして、それにどういう意味があるだろう。いずれにせよ存在しないのだとしたら、その「証明」自体が夢のように消えてしまうわけで、自分自身の存在すら証明できない存在が何を証明しようと言うのか。よって無意味。
また、前者(「God」)については証明の必要がない。なぜなら、それは定義上「論理」すらも超越する絶対の存在なわけだから、「論理」に基づいて存在を証明されようが非在を証明されようが痛くもかゆくもなく存在するかもしれないししないかもしれない。「論理的に存在し得ないはずのものが存在する」ときに人は「奇跡」とか「神」とか考えるわけでしょ? つまり「それを論理的に考えるだけムダ」ということで。個人的には「論理的に証明され尽くした存在」なんて「God」じゃない、単なる自然現象に過ぎないと思うんだけど。そんなわけで、今までにも色々面白い質問をしているid:neyorawaさんだけど、今回の質問はループして空振りにおわると予測。でも、「人力検索を盛り上げる」という意図でやっている所もあるだろうから応援はしています。


それにしても「神はいると論理的に説明できるかた」がこれだけいることに驚いた。07.4.20am9:00現在で12人! そんなにたくさんのかたが「論理的に説明できる」として回答しているというのがちょっと信じがたい。しかし反面ウォッチリストや参照が多いのは、中に、彼らの繰り出すであろう「論理」モドキを冷やかし半分眺めたい人が混じってるから? うーむ。それだとちょっと余り健全でない気もするなぁ。大体の人は多分純粋に「現代人がいかに『神の存在証明』を行うか」に興味があるんだとは思うんだけど。もっともそれにしたって、思考法としては健全でも内心の動機自体は余り健全でない気がする。それよりも、既に近代の曙、19c中に「神は死んだ」とニーチェが言明したことの意味……存在を前提した上でそれを否定すること、つまり「神よ、アンタをオレは認めねえ!」と言い放った心強さをもう一度振り返ってみた方がいいと思う。考えたら凄いヤツですよね、ニーチェって奴は。質問者・回答者の中に、一人でも「神は確かに存在するが私はあえて神の存在意義を否定する」という心境に達することのできる人はいるのかな。