『「安倍叩き」叩き』叩き

「テレビが作る“民意”って何?大衆が誘導される今の時代」「報道の偏り…、胸くそが悪い」星野仙一氏が語る (痛いニュース@星野仙一公式ブログ)
そろそろ誰かこういうことを言い出すだろうなとは思っていました。それが星野仙一氏だったというのは少し驚きましたが、ポジショントークではないだけに(彼は、政権の誤魔化し正当化説明なんかには割と厳しく切り込む方だったと思っていましたので)説得力がありました、が、逆にそれだけに看過できないものもあると思われましたので、書いてみます。*1


概要は以下の通り。
(1)メディアが「民意」を演出している時代だ。それに踊らされる人が多すぎる。
(2)冷静に考えて、現在の「スキャンダル→引きずりおろし人事」は異常だ。
(3)一年前には持ち上げた人を弱いモノいじめ同然に引きずりおろすような社会にウンザリ。*2
(4)マスコミ報道の偏り、のせられる世間の態度、「勝手主義」の時代だ。


報道が「品格」を失い、勝ち馬に乗ろうとする態度で競争し人々を煽り立て、政治に何が必要なのか真面目に議論するような態度をつぶしてまわっているも同然だ、という点には同意します。それなりに良心的な人であれば、現今の報道が、その内容はどうあれ垣間見えるマスコミ業界の「考え方」や「態度」に、まずもって嫌気が指すのはむしろ当然のことでしょう。事務所費問題等からはじまった「政治と金」のスキャンダル暴き〜辞任の流れに、誰もがいい加減食傷気味で、(2)のように、コトの是非はともかく報道の過熱の異常さに嫌気がさしている人は多いだろうと思います。


また、年金問題は構造的に「安倍政権それ自体の問題」ではなかったのに、年金問題への対応を後回しにした(まあその間に安倍氏の個人的な信条にもとづく本質的に無意味であるどころか有害ですらある教育改悪などに時間をかけたのは彼の落ち度ではあるわけですが)ことをもって年金問題の元凶であるかのごとく叩かれたことに、評価の不当さを覚える気持ちは分からなくもありません。


しかしながら、私は(安倍政権誕生以来一貫して彼を批判していた人間として)星野氏の発言に三つほど反駁したいことがあります。


一つめ。まず安倍氏が、かくも徹底的に手法において無能であり、かつ指導力も無く政治力もなく、実は一貫した思想を発し続ける知性も無いということが、政権誕生前に誰がわかったかという問題。星野氏が天才的な洞察力の持ち主で、安倍氏が首相として適任でないということをいち早く知り発言していたのだとしたら、「一年前には持ち上げ、今また分かり切ったことで叩くお前らはオカシイ」と言うのも当然でしょうが、一年前には分からなかったから持ち上げていた、それが一年間やった結果明らかになったので叩いている、とすれば、「手のひら返し」に見える現象が生まれたのは、人々の浮気性ばかりが悪いのではなく虚像を描いて人気を演出していた首相サイドにも重大な責任があると思うのですが、どうでしょうか。


もちろん「事実としては安倍はものすごく優秀な首相だったのに不当に評価されている」ということならまた話は別ですが、「政治は結果責任だ」というのは首相自身の言葉であり、たとえばプロ野球の監督もそれは同じでしょう。安倍首相が残した「政治的成果」というのは圧倒的多数による強行採決の連発の結果でしかなく、野党に対して果敢に論戦を戦ったわけでもねばり強い説得工作で野党から譲歩を引き出したわけでもない。だからこそ逆に参院で野党に「数」を握られただけで「政権運営ができない」などと寝言を言って政権を投げ出したのではありませんか。「安倍がいなくならなければ話し合いには応じられない」と野党が言い出すような政治状況を作り出した彼のこの一年間の乱暴な「政権運営」を少しは振り返るべきではないでしょうか。


二つめ。そもそも安倍氏を「選んだ」のは自民党の党内力学でしかなく、彼の政治思想や信条を「支持」したのは自民党員に過ぎません。彼は「民意」を問われることのないまま政権についていた人間であり、小泉氏からほとんど政権を「禅譲」された存在でしかない。「民意」を問うた結果として圧倒的多数を得た小泉氏がいかほど官邸主導型政治をやり日本を好き勝手にドライブしようとそれは人々の責任だと言えますが、政権を禅譲されただけの安倍氏が同じコトをやれば、それは批判されてもやむを得ないし、批判に反論したければ解散して「民意」を問うことは彼に許されていたわけですが彼はそれをしなかった。である以上、人々が彼を批判してもそれを「手のひら返し」だと批判するのはオカシイのではないでしょうか。今回安倍氏にNOをつきつけた人々が、安倍氏政権運営に対しいつからNOを感じていたかは誰にも分かっていませんし、それを「テレビ報道に煽られた」というのは単なる推測に過ぎないですよね。


三つめ。これを言うのはいささか卑怯かもしれませんが、星野氏がおっしゃる(1)と(4)について言うと、私もずいぶん以前からそう思っており『テレビなどというメディアを信じる方がバカでありテレビなんか見る必要無し』と主張しているわけですが(「誰もが関係者であるという自覚」(こころはどこにゆくのか?)など)、実際にテレビ業界で仕事もしている星野氏は過去テレビというメディアのそういった側面に対してどのようなアクションなり提言なりをなさったのか、ということは問われる必要があると思っています。

 「出る杭は打たれる」は昔のことで、今は「出る杭は抜かれる」時代だ。倒れた者になおのしかかって、パンチを浴びせ、ひねりワザまでかけるようなマスコミの報道の偏りに、世間の態度に、わたしもテレビに出ている人間だが胸くそが悪くてたまらない。

とあるので、私はてっきりこのあとに「今後自分は、今回これこれこういったニュースを漫然と垂れ流した○○テレビの仕事だけは絶対に受けないことにする」とか、あるいは「今後自分は一切テレビには協力しない」とか、そういう宣言でもくるのかと期待したわけですが、そもそも最初までさかのぼっても放送局の具体名の欠片も出ないという配慮具合、これを星野氏自身はどう考えておられるのでしょう。どこの放送局のどのニュースの誰の発言を見てかように怒っているのかくらいが言えないなら、一体どういうスタンスでテレビ報道批判をしているのかすらサッパリ見えてこない気がします。厳しい言い方をすれば、それでは「『ありがちなキャスターとはひと味違う(テレビ批判もできる)男、星野仙一』の宣伝」にしかなっていないのです。これでは、そのポジションで報道番組の出演仕事を一本受けようという態度にしか見えません。(勘違いされると困るのですが、星野氏がそれを「狙った」と言いたいのではなく、必然的にそう「なってしまう」という話をしています。)星野氏はまず今回の発言に関しては、ご自身のおかれた立場をこそまず振り返るべきではないでしょうか。


ある発言なり行為なりがメディアに乗って一人歩きを始めた瞬間に、作り手の意図を越えてそれが様々な意味やもともとなかったような意図を作り上げてしまう…というメディアの性質それ自体を自覚できていないのだとすれば、残念ながら星野氏には現今の報道を批判するだけの資格なり能力なりが無いと言わざるを得ません。


私は別に星野氏個人は好きでも嫌いでもありません。強いて問われれば、どちらかといえば星野氏は「嫌いではない人間」に分類すると思います。星野氏が愛すべきキャラクターであり、かつまた比較的無邪気に、善意で発言しておられるであろうことをそれほど疑っているものではありません。また、安倍叩き報道がこれほど増えれば、当然(安倍擁護側から)反対の意見を述べる人も現れようということも十分予測できることでした。それに対して反論するほど私は暇ではありません。
しかし今回の星野氏の発言に関しては、それが比較的中立の立場からなされていること、そして上記にあげた三点において強い疑問があることで、看過できないものがあると感じました。従って本エントリは、星野氏自身にどうこうというよりたとえば痛いニュースでみられた「星野はオレの心を代弁してくれた!」というような感想を書いた人に向けられたモノだとご理解いただければ幸いです。あらためて問います。安倍氏は、そして星野氏は、本当にそんなにイノセントなのか?と。


(参考)
「まじめに安倍の何が悪かったかを議論するスレ 」(ニュー速クオリティ)

*1:ご本人の公式ブログにはTBできないこと、また後述する理由から、これを報じた「痛いニュース」の方にTBしてみます…

*2:安倍首相のこと