「制止する人間が一人もいない」問題(追記有り)

客観的に見れば明らかに限度を超えた行為が集団によって行われてしまうケース。これはいわゆる集合知」がなぜかはたらかないケースと言えると思いますが、そういう『集合愚』としか言いようのないことが起きたとき、一体そこにはどういう問題が起きているのでしょうか。
たとえば『いじめ』は明らかにそういうケースでしょう。また、少し前の「高校野球・特待生問題」については、限度を超えた特待生制度を行っていた学校も、またそれに対する高野連の処罰も『集合愚』のごときものでした。総裁選の少し前までやたらと元気な話題だった「政治とカネ」においても、平気でやっていた政治家(後援会や事務所の人々、そして党内の人々)も政治家なら、限度を超えてどうでもいいことまで報道する側もする側…みたいな。そして今日報道されたニュースも、同じ集合愚の典型だったと言えましょう。
真相報道バンキシャ!2007/9/3(@ウェブ魚拓)

杉村太蔵議員が男を上げました。
小泉チルドレン」が武部さんのもと福田氏支持を打ち出したことに
不満をもらした杉村議員。
これで福田さんに投票していたら、ガッカリでしたが、
見事に筋を通しました。
麻生さんに一票を投じました!(福澤朗


総裁選の投票は「無記名投票」のはずなのに、どうして杉村議員が麻生太郎に投票したと彼は知っているのでしょう。杉村議員が宣言でもしたのでしょうか?……違います。それは、日本テレビが盗撮したからです。
日テレの盗撮により、杉村太蔵は麻生に投票した事が判明(カジ速)


日テレは「杉村!男を上げた!」と報道してハシャげばそれで問題ないということなのでしょうか。確かに視聴率は上がるかもしれませんが、このようなことがまかり通り「無記名投票」のはずが事実上公開投票になると、総裁選に際して事前の駆け引きや圧力かけが非常に強力に働くことになる、ということを日テレはどうやら理解していないようです。簡単に言えば、「○○に投票しろよ」「'`ィ (゚д゚)/分かりました」といくら言っても、実際誰がどういう投票行動を行ったか分からないからこそ、土壇場で自分の良心に従って投票することもできる。そういう仕組みにしておかなければ完全に自由意志に基づく選挙の仕組みが守られない……無記名投票になっているのはそういう理由からなわけで、今回日テレがやったことはその仕組みをぶち壊し不正な圧力的選挙活動をやりやすくするための土台作りだということです。コトは公正な報道とか報道の自由、知る自由がどうのこうのというレベルを越えて、明らかに日テレは報道人としての良識を失い、日本に害を為したと言っても全く過言ではない。


福澤氏と言えば、先日アマチュアゴルフの石川選手の生声を拾うために同伴競技者に盗聴の手伝いを依頼したという事件で、涙の謝罪を行った『良心的』アナウンサーかと思っていましたが、その彼にしてこの良識の無さはどうしたことなのでしょう。いや、これは良識の問題ではなくむしろシンプルに常識、あるいは知性の問題であると思われます。現在のテレビ関係者に、この件が明らかにオカシイと判断できるという程度のささやかな知性を持つ人間は一人もいないのでしょうか。優秀な大学を卒業し優秀な試験を突破したテレビ局の方々に、その程度の知的能力が欠如しているとはとうてい信じがたい。


すると、問題は「オカシイことをオカシイと言えない」集団の圧力がその背景としてあるのではないか、という、最初にあげた問いに行き着くわけです。「いじめ」もまた、実行者や周囲の人間の中にある「これはやりすぎだ」という声(内なる声も含めて)を封殺し暴走するものです。「それはオカシイよ」と制止できる人間をとどめてしまう力。あるいは実際にあがった「オカシイよ」という声を排除する力。そういったこそが「いじめ」を激化させるのであり*1、それはいじめのみならず「集合愚」が発生する場に必ず働いているものなのです。カンの良い方ならお分かりいただけるとおり、昨今のいわゆる空気嫁論争における「空気」という奴がそれです。


90年代、ゆるやかに閉塞しつつあった日本に風穴を開けたのは、明らかにインターネットでした。インターネットにそれが可能だったのは、大胆に言い切れば、それが空気読まなくていい社会だったからです。だって匿名だし仮想人格なんですから、空気なんて無視して好きなようにやって構わない。少なくとも、年齢や社会的立場を越えて、つまり社会が我々に要求してくる「空気」を一切無視して率直に意見を述べ合うことで、初期のネット社会は成立し、だからこそそこには集合知が存在し得た。各自が空気を無視して率直にネットの一部として機能し合うことが、当時言われた「ネチケット」の本質ではなかったかと私は思っています。


だとすれば、「ネチケット」という概念が消え、逆に「空気嫁」論争がわき起こる時代が来るとともにむしろ「突撃・炎上」といった現象が発生したのは無理無いことだったのでしょう。なぜなら「突撃・炎上」の先兵として活躍した人々は、ポリシーではなく「空気」に基づいて突撃し炎上を引き起こしていたからです。彼らは優秀なネット言論者ではなく、ただ普通に「空気を読む」人だったにすぎません。そして彼らがインターネットを閉塞させることもほぼ間違いない。インターネットにおいて「空気を読むこと」を主張する彼らは、無意識のうちにインターネットの可能性に対して恐れ心を閉ざし、そこを自らの閉塞した現実と地続きの世界にしようとしているからです。彼らが手に入れるのは安心。そして彼らが失うのは未来、ということになるでしょうか。


今日の日テレの暴走は、マスコミまでがこの「空気嫁」競争に参入し、マスコミが予想されたとおり集合愚の先兵として、イジメの先頭に立つことに対して全く無自覚であったという証左に過ぎません。それは本当に大したことじゃない。これまで誰もが知っていたことの再確認に過ぎません。それより重要なのは、そういった既存社会の無力に対抗する手段としてのネット社会を、今我々が失いつつあるという現実です。


要するに、空気読め空気読め言ってるうちに*2、賢い人が物を言わない社会、集合愚の世界がやってきますよ、と。それで良いんですか、と。今日のニュースを見て、そういうことを考えてました。以上。


(追記)
とりあえずこの話、匿名ダイアリでも批判されてて少し安心。まとめサイトで批判されてても安心できないけど。

(追記2)9/24 11:40
書き終えて増田を眺めると、「どうして匿名ネット社会には礼儀がないのか」という文章に引っかかった。今回のエントリが何か返事になってる気がするのでTB。

(追記3)9/26 15:00
ブクマを見て焦る。実はid:sivadさんがとっくに同じようなことをスマートに書いておられたのだった。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20060415#p2
……orz

(追記4)
ブクマコメで「後で書く」しておられたt-murachiさんからTBがあり、それに対するお返事を続編に。
続編…「匿名」文化の光と影:http://d.hatena.ne.jp/jo_30/20071006/1191637254

*1:以前、何度か私が言及した「いじめ」を許容する場=「自殺クラブ」こそが問題だという話とこれは共通しています

*2:要するに、テメエがウマい生き方してると思ってニヤニヤしているうちに