「匿名」文化の光と影(続「制止する人間が一人もいない」問題)

先日の拙エントリ(「制止する人間が一人もいない」問題(こころはどこにゆくのか?))に対して、id:t-murachiさんが次のようなブクマコメントを書き昨日エントリをたててTBをくださったのでお返事してみたいと思います。
エントリ自体は多分t-murachiさんの興味や記憶のまとめを含めているせいで色々な内容を含んでします。実際、私のエントリへの反論とかではない部分も多いようですから、まずはシンプルにブクマコメントの問題について考えてみたいと思います。

(t-murachi)匿名性ゆえに空気読まなくて良かったとする論には同意できない。匿名性を生かした立ち振る舞いに皆が長けていたアングラ期も、あれはあれで皆がネットの空気を読んで取っていた行動だった。後でブログにて追記。(はてなブックマーク-こころはどこにゆくのか?


これについてエントリを読むと、批判の要点はいくつかあって、大体まとめると以下のようになると思います。

  (1)匿名性「だけが」空気破壊するわけじゃないよ。
  (2)匿名性「でも」空気は読んでたよ/読むよ。
  (3)そもそも90年代のネット上には空気がそれほどなかったよ。
  (4)ネチケットはコミュニケーションマナーではないのでは?

私の方としては、これらをベースに、なるべく重複にならないよう話していけば良いかと思うのですが、ここまでよろしいでしょうか。ちなみに(4)については最後に補足として述べます。


では、これにならってjo_30の前回エントリを簡単にまとめます。jo_30の主張は

  (1)90年代日本は閉塞してたよ。ネットは開放的だったよ。
  (2)それはネットの匿名社会が空気嫁じゃなかったからだよ。
  (3)でもだんだんネットでも空気嫁になってきたよ(ウザーイ)。
  (4)このままじゃネットも閉塞するよ。

というものでした。こうして比較すると分かりますが、「匿名性が空気破壊に役立つこと(jo_30(2)、t-murachi(1)」「90年代のネットには空気嫁文化は余りなかったよ(jo_30(1)、t-murachi(3))」あたりについては争いが無いようなので、t-murachiさんと私の主張の差は、おそらく「90年代の閉塞を匿名ネットが解放した(jo_30(1)(2))」と「匿名社会でも空気の読み合いは重要だった(t-murachi(2))」だけになるのではないかと思われます


しかし、これについては私の「空気」が「年齢や社会的立場…つまり社会が我々に要求してくる「空気」(前掲エントリ)」のことを指している以上、t-murachiさんの主張される「掲示板や人気サイトが醸成するネットの流行(t-murachiさんエントリよりjo_30的にまとめて)」という意味での「空気」とは意味合いが異なってきますし、後者の意味での「空気」すら90年代にはまだ醸成されていなかったとするならば、前者の空気に充ち満ちていた社会においてそれがどれほど解放的な空間だったかは言う必要も無いですよね。


ちなみに、私が「匿名文化が日本の停滞した空気を解放した」と書くとき、それは多分に2chを意識した発言だということは、あらためて申し添えておくべきかもしれません。t-murachiさんのおっしゃるような「ある種のアングラコミュニティ」の時代には「ハンドルネーム」制が主流だったと私は記憶するのですがそれは私のイメージする「完全な匿名」とは少し異なります。私の言う意味での「完全な匿名」がデフォルトになるに際して、2chの果たした役割は大きい。このあたりの私の記憶や事情、そして考えは、たとえばこちら
『はてなポストモダン村』(ゲゼルシャフトとゲマインシャフトからはてなを考える、に触れて 2)
『はてなポストモダン村』(ゲゼルシャフトとゲマインシャフトからはてなを考える、に触れて2−(2))
『はてなポストモダン村』(ゲゼルシャフトとゲマインシャフトからはてなを考える、に触れて2−(3))
にて詳細に述べたことがありますので、ご覧いただければ幸いです。


これを見返して思ったのですが、
 A停滞→B解放→C徐々にコミュニティ化=良い空気嫁→Dなれ合い=悪い空気嫁→A'停滞
という風に、流れは結局ループしてるのであって、そのどこかを切って「空気嫁の有る無し」を論じるのではなく、むしろA停滞からA'停滞へとループしていく全体の構造そのものを私は問題にしたいのだと思います。その意味で、誤解させたかもしれませんが、上記エントリなど見ていただければ分かるように、現在私は「匿名性絶対主義」を唱えたいわけではありません(それなら3年近くも固定IDでブログを書いたりしません)。最初のエントリでもそのようなことを述べたつもりはありませんでしたし、その点を私の書きようがまずくて誤解させたのならお詫び申し上げます。


とにかく私はその「ループ」をこそ問題にし、まさにt-murachiさんがおっしゃるような「全体の空気をかき回す」「空気の流動化」生成し流転するブロゴスフィアの可能性や、それによって議論が活性化して成熟した社会が生まれることを希望するものです。だからこそ「ひとつの方法論のみを奨励するのではなく、さまざまなツールを残し、活用し続けることが大切」だと私も思います。その点で、最後に述べておられた「ネチケット」の話題を改めて押さえておきたい。


たとえば私がイメージするネチケットというのはたとえばこんなもので、
ネチケット・ホームページ
見ていただければ分かりますようにこれはt-murachiさんがおっしゃるようなネットワーク使用上の約束事にコミュニケーションマナーをプラスしたようなものです。(元からそういう意味であったかどうかは知りません。すみません。)そして、結局のところこれらの意味するところは端的に2ちゃんねるの約束事(よく知られている「鉄の掟」*1の方じゃなくて)

Qお約束・最低限のルールって?
他人に迷惑をかけるのはやめようということです。。。
 必要以上の馴れ合いは慎しむとか、暴言や第三者を不快にする書き込みはしないとか、悪質な削除要請や自己中心的な発言はひかえるとか、どれもむずかしくないことなんだけどなぁ。
 また、一般人の誹謗中傷・私生活情報暴露は禁止します。固定ハンドルさんを叩く行為も、最悪板以外の場所では禁止してます。


Qほかに気をつけることは?
Aまず、他人が見て面白いことを書きましょう。大勢の読者がいることを意識してください。
 サーバやシステムのリソースは無限じゃありません。
 スレッドを立てる前に、同じような内容のものがないか確認するのも忘れずに。。。
 データ量をむやみに増やしたり無駄にスレッドをあげたりすると、「荒らし」と呼ばれちゃうこともあります。

の二項に大体集約されちゃうんじゃないでしょうか……という意味で、私は
『各自が空気を無視して率直にネットの一部として機能し合うこと』
というまとめ方をしたわけです。これはあるいは
『ともすれば醸成されそうになる「空気」的なものをあえて廃して行動せよ、というのが、日本人にネットで求められる最大の「空気」(ネチケット)である』
とでも言い換えれば良かったでしょうか?


ちなみにこの話は昨日書いた「コミュニケーション<データベース」という話とも関係します。現在の空気嫁論が進んでいくとそれは「コミュニケーション」型ネットワークになり、ネットワークの「データベース」機能は決定的に阻害されかねないという意味で。


繰り返しますが、私はきちんとデータベース型のネットワークが重視され、ひいては我々の社会がネットの中も外も含めて「成熟した」社会になれば、それが一番いいとは思っています。しかし、特にネットの外の社会は確実にそうはならないだろう、とあきらめてもいます。だからこそネット社会の中だけでもデータベース型ネットワークの社会としなくては、我々の社会は決定的に閉塞していくのではないか、それはなんとかして避けたい。


だからこそ、「空気を読め、場の雰囲気に合わせろ」というような、あるいは「全体の不興を買ったときは、不興を買うような言い方をしたという時点で、発言内容よりもまずそれが罪なのだ」というような無茶苦茶な意見がまかり通る状況を危惧します。たとえば昨日の増田の関西弁vs標準語論争も、「標準語」派は徹底的に「空気嫁」論で押していました。ネタにせよ関西をとにかく「異物」扱いし、それを的にして相手を炎上させようというやり口は、ネットイナゴたちが炎上対象を「異物」扱いして次々特攻していくそれとそっくり同じでした。まあ所詮内容が低レベルな(一部は強いマッチポンプによる)もので、夕方には収束したようですが。


最後に、これは一番最初にt-murachiさんが私に問いかけておられることへのお答えにもなりますが、私は特に何かの「空気を読んで」この話に言及した訳ではありません。私は「空気を読んで」エントリを書いたりできないししないタチの人間ですから。
私の話において空気を読む話は別段メインなのではなく、むしろ空気を読む話題の方が私の一連の「関心」に強く関わってくる問題だから、話題の一つとして取り上げているに過ぎません。たとえば一見関係なく見えるかもしれない4日前の「ツンデレvs悪女論」のエントリの

大人が子供を愛するとは、子供と同じレベルにただ立つのでなく、子供と同じレベルに立つことも出来るしそうでないことももちろんできる、という状況においてのみ正しく成立するのではないかと思います。

もまた、「相手とただ同じ立場で物を言う」だけでなく「相手の立場を理解した上でそうでないこともできる」状態でないと成熟した関係とは言えない問題、と置き換えてみれば、結局コミュニケーションにまつわる立場の話と同じ問題意識がその底に流れているということを理解していただけるでしょう。ですから、t-murachiさんも特に「空気を読んでいるかどうか」をお気になさらず言及していただければと思います。


もっとも、他人の書いたことを踏まえておくこと自体はもちろん大切なことで、空気以前にきちんと状況*2を理解していないというのは致命的で、その意味でsivadさんの話とモロカブリしていたのは素直に反省点であります。まあ、sivadさんのおっしゃるように、その話が「繰り返される」こと自体にまた一つ意味があるというのも事実だとしても。

*1:2ちゃんねる鉄の掟「出されたご飯は残さず食べる。」「転んでも泣かない。」「おいらのギャグには大爆笑する。」

*2:「空気」ほど不可視なものでない、実体のあるコンテクスト。たとえば先行研究など