コミュケーション<データベース

コミュニケーションとデータベース(はてな匿名ダイアリー)
ネットをめぐる重要な見解の一つと感じたので記録。

http://anond.hatelabo.jp/20071004170446
持ってる情報を「可能な限り」そこに流すべき、ね。
可能か不可能かの判断は、もちろん発信者の自由だよ。
というか、そこは重要じゃない。
罵倒だって記録されるべき情報だ、ってことを言いたいわけだ。

http://anond.hatelabo.jp/20071004170850
確かにその通りです。例えば、罵倒表現も当時の文化を研究するための歴史的資料としては価値がありますし、温泉旅館の批評コメントなども旅行者にとっては大変重要なものです。
この世の何処かにはその罵倒コメントで価値を得る人がいるかもしれませんが、いるかもしれない人のためにわざわざ対象ブログのコメント欄やSBMのコメントを罵倒や誹謗中傷で埋めつくしておく必要はありません。むしろそういうのは2chなどのアンダーグラウンド色が強く、対象ブログ作者の目の届かないところでやるべきだと思うのです。コミュニケーションツールとしてのネットに罵倒表現を溢れさせるのはコミュニケーション(情報伝達)の阻害要因でしかないと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20071004173243
ぶっちゃけ、コミュニケーションとデータベースのどっちが大事かと言ったら、データベースのほうが大事なんですよね、個人的には。
コミュニケーションのためにデータベースが破壊されるのは我慢ならない。
罵倒なんてブロガーが気にしなけりゃ解決する話ですよ。
しかし、この考えが支持されないこともわかっています。
いまならほとんどの人がコミュニケーションの方を取るでしょうし。

太字強調した部分の気持ちは凄くよく分かる。ネットにコミュニケーション求めて絶対にいけないかというとそうでもないんだけど、少なくともデータの蓄積や議論、応答をしているときにコミュニケーションのためにデータベースのレスポンスが低下するというのは犯罪的だと思う。


なんでこれが重要かというと、つまりこれが「無断リンク」問題に対する分析の視点として非常に分かりやすいから。元記事はあくまで「批判ブクマ」問題についてのエントリなんだけど、「ネットも現実社会と同じく人と人とのコミュニケーションの場なんだからお互い気を遣おうよ」という意見は当然「だから嫌がる人に無断リンクするのはやめようよ」という意見につながるし、一方「ネットは情報の集積場なのだから、データベースを充実させることが全体の総和としての善なのだよ」という意見は「無断リンク禁止の風潮を広めるなどもっての外」ということになるよね。前者と後者の利益対立が、無断リンク禁止論争(論争というべきかどうかは疑問だけど)の根幹なのだと分析する視点として有効じゃないかと思ったので。


何より、自分の言いたいことが非常にスッキリと表現されていて爽快だった。これがいわゆる「モヒカン族」的な思考?多分そうなんでしょう。でも実社会でも、たとえば会議や無駄な打ち合わせの時間を縮小する最大のポイントの一つは「口語で会議をする」ということだったりするというのは、以前の職場(のあるチーム)で実感したことがある。ちなみに「書き言葉」で話すのがデフォルトになってる現在の職場の会議は非常に非効率的。このあたりは要改善ポイントだと思ってます。だから「コミュニケーション<データベース」という意見は決してマイナーとか趣味とかいう問題でなく、普通に有りな意見だと思います。