中教審GJとあえて言わない(追記有り)

「授業減らしすぎた」中教審が異例の反省

次の学習指導要領を審議している中央教育審議会文部科学相の諮問機関)が、近く公表する中間報告「審議のまとめ」の中で、現行の指導要領による「ゆとり教育」が行き詰まった原因を分析し、「授業時間を減らしすぎた」などと反省点を列挙することがわかった。

色々と言いたいことはたくさんあるのだけど、そして方針変更は結構なのだけれど、その方針に振り回された生徒や現場に対してお詫びの一言がまず先でしょう、人間として。それを大前提に、以下問題を指摘。


まず、「授業を減らしすぎた」という自己批判について、週休二日体制を崩すことなく授業を減らし過ぎ「ない」アイデアがあるのかどうか、聞きたい。物理的に無いと思うがどうなのか。多くの学校で「土曜授業」を行ったり夏休みを削ったり一日の授業時間をのばしたりして対策を行ってきたことをどう評価しているのか、言明して欲しい。週休二日に関してはアメリカ様のご命令だということはよく存じ上げておりますが、そこに反することが可能なのかどうなのかご説明を。


次に『「ゆとり教育」が行き詰まった原因を分析し、「授業時間を減らしすぎた」などと反省』とあるが、それは「脱ゆとり」という話とイコールなのか。私の考えは

「授業時間減らせばゆとりは消えるだろう、常識的に考えて」
「社会的に求められる知識量に変化が無い以上、知識が身に付かなければゆとりは無くなるだろう、常識的に考えて」

というような感じなのだが、「ゆとり」をやめるなら授業時間数は少ないままで良いし、授業時間を増やせば「ゆとり」が生まれるのが成り行きなわけなんだが、その辺りはどうなのか。「ゆとり」教育が目指していた『思考力や表現力、他人を思いやる心』は今後必要ないのか、それとも一層その育成を目指すのか、そこの所も明言して貰わないと困る。


ちょっと整理してみる。というか、これ、ずいぶん以前に書いた気がしていたが検索しても引っかからないので書いてみる。

(1)「ゆとり」以前の年間授業時間数を100、年間授業内容を100とします。
(2)授業時間を週あたり4時間減(土曜廃止)、総合的な学習の時間導入でさらに週辺り1時間使用で計5時間減。計15%減で授業時間数は85。
(3)義務制における授業内容3割減で、高校卒業までの授業内容が100×12=1200から、70×9+100×3=930に。つまり内容は77.5に。(ただし「総合的な学習の時間」導入により、内容は必ずしも『減った』だけではない。)
(4)従来のゆとり度(授業内容/授業時数)が1とすると、77.5/85なので新しいゆとり度は0.912となり、約1割の「ゆとり」が達成されました!

というのが文科省の机上の計算だったわけだが、

  • 「学校行事」は常に「定数」として存在し、削減の対象とはならない。これはタダでさえ減った授業時数を更に圧迫する。
  • 早期達成に向けて授業内容3割減が数値目標とされたため、内容設定において「発展の段階」を無視した例が多く出た。拙速にして非効率。これはさらに時間数を圧迫。
  • この間、社会の変容に伴い、生徒・保護者の多様化、学校の管理化、学校を取り巻く治安の悪化などが、教師の側の余裕を次々に失わせた(新任教員の離職・休職について調べてみるとそれがよく分かる)。

などの理由と、さらに決定的な理由として

  • 大学入試はこれらを一切考慮しない。すなわち知識内容としては従来通り「1200」を求めてくる(いきおい、私立の中・高等学校もそれを入試に求めてきて、結果公立学校の学力低下は加速)。

という事情のため、教育現場が一気にデスマーチ化した。「総合的な学習の時間」の内容をどのくらいに設定するかにもよりますが、これは「学習時間」の設定からははずしてあるので、とりあえず現在高校卒業までに必要な学習内容を1200とし、これを現在の授業時数(85×12)で割ると、ゆとり度は実は1.18となり、「ゆとり」実施以前に比べ18%のオーバーペースとなっていることが判明!
いや、こんなことは非常に今更な話なんですが……一応。


これを踏まえれば、今、ゆとりを「増やす」方法は一つしかない。限られた時間内で充実した学習を行う方法……それは「人を増やす」という方向だ。学級定数を5人減らすのに必要な額は約3300億円。これが莫大な予算とは全く思えないのだがどうなのか…。逆に、今、教育の世界でこれ以上ゆとりを「減らす」方向への舵の切り方が何を引き起こすか、考えて頂きたいとも思う。


最後に、読売新聞もこの辺のことをしっかり認識しないまま記事にするのは止めて欲しい。消化不良だから。


(追記)'08.1.15
最近TBを頂いたようなので記事を読み返した。とりあえず文科省は各学年ごとに一週ずつ学期を延長して名目上の授業時数を増加させる方向で対応する模様。限られた時間を無理に削って拡張する方向での対応には批判も飛ぶかもしれないが、費用をかけない現実的な策としてはありえない策ではないと思う。が、日々増大する「今までなかった仕事」負担の上昇ペースに歯止めがかかると思えない以上、効果のほどもそれなりで、気休め以上のものではないだろうと予測。