『はてなポストモダン村』(ゲゼルシャフトとゲマインシャフトからはてなを考える、に触れて2−(3))

3、と銘打ったものの、おおきな目論見(全体の目次)を昨日で提示してしまったので、今日からはそれを一つずつ片付けることになる。
といいつつ、先に余談を一つ二つ。
(余談1)今日本屋で

原稿用紙10枚を書く力

原稿用紙10枚を書く力

「原稿用紙10枚を書く力」を立ち読みしたんですが、「書く力」とは端的にこの「目次を作る力」のことである、という話が書いてありました。確かにそれはそうだと思うのですが、だからといって「目次を作る力」を育てる…というのもなんだか予備校の小論文対策講座じみていて今ひとつだと思いました。斎藤孝さん自体は嫌いではないのですが、そういう実用講座みたいのだけが大手を振ってまかり通る時代というのが少し嫌ですね。
(余談2)余談というか、yukatti氏に私信。はてなポイントについては、昨日触れたsasada氏の日記の中で(さっきリンク貼りました)かなり詳細な考察がなされています。ご参考まで。
さて、昨日書いたことのうち、まず最初に
・現在の2ちゃんねるがベストの形ではない。そこには多くの欠点が存在する。
から書き始めようと思います。「2ちゃんねるに多くの欠点が存在する」ことなど一見自明なことのようですが、実際にそれを指摘するのはなかなか厄介なことです。批判というのは対案がある場合に限り意味を持つわけで、実現性を無視した原則論を唱えるだけなら批判されている側は痛くも痒くもないことです。そして、有効な対案がある場合2ちゃんねるでそれが見落とされることはほとんどあり得ないでしょう(何せ一週間のユニークオーディエンスが20万近いサイトなわけですから)。従って2ちゃんねるは限りなく「欠点のないサイト」に近いと言えます。これを個人的に「2ちゃんねる=完全性定理」とでも呼んでおきましょう(笑)。
しかし、それがどんなに完全に見えても、「あるもの(2ちゃんねる)があるもの(2ちゃんねる)であるが故に持ち得ている利点のマイナス面」を避けることは不可能です。たとえば「(一応は)匿名である」からこそ2ちゃんねる2ちゃんねるなわけですが、それは2ちゃんねるが、匿名性がもつ弊害からは決して自由になれないことを意味します。一部の固定ハンドルはその弊害を低減はしますが、固定ハンドルであっても名無しで書き込みができ、またいつでもハンドルを捨てることができるわけですし、それはその弊害を0にすることはできないでしょう。その書き込みは、局所的にはどんなに高いレベルの物があったとしても、平均すればやはりしばしば批判される「便所の落書きレベル」に長期安定していくでしょう。質の高い暴露とともに、低レベルの大量の中傷のために、ひろゆき氏は2ちゃんねるがある限りこれからも訴えられ続けることでしょうし、裁判には負け続けることでしょう。近い将来2ちゃんねるは閉鎖せざるを得なくなる(というより、突然「やめます」ということになるのではないでしょうか。ライブドアが買い取るとでも言うならともかく(笑)(そんなリスクの高いことをするとは思えませんが))でしょう。また、参加が無限に自由である限り、荒らしを完全に防ぐことはこの先も絶対に不可能ですし、どれほど削除人や運営を増やしても対処は不可能でしょう。また、本質的には無政府主義ユートピアであるが故に、2ちゃんねるはいかなる方向性も持つことはなく、社会的にはついに「イノセント」な存在であり続ける他はないでしょう(2ちゃんねらーの多くが『弾圧』されたりすることはあり得ないでしょう)。なんらかの事件をきっかけにそれは明らかになるのではないかと思います。そしてそれは、2ちゃんねるの自由さよりも、「無力さ」を人々に対し決定的にアピールすることでしょう。そしてまた、参加の自由の裏返しとして、その結果として起こって来るであろう「人の流出」を止める術も2ちゃんねるにはないでしょう。既に数年前に大勢を占めていた「2ちゃんねらー」のほとんどは、専門板の底の底に潜ったか、あるいは2ちゃんねるを離れて新たなコミュニティの建設に向かったような感じを受けます。その結果2ちゃんねるに継続して参加する層は果てしなく愚民化していかざるを得ないでしょう。これを個人的に「2ちゃんねる不完全性定理」と呼ぶことにします。
つまり、『匿名掲示板システムとして』という留保つきで「完全性」を持ち得ている2ちゃんねるは、同時に『匿名掲示板として完全である』が故に、その限界点に到達しており、そしてその限界点をこえることもできない「不完全性」を既に露呈している(例は上記の通り)のです。モリタポシステムや●の販売などで一時をしのいでも、2ちゃんねるを成り立たせているのが実はシステムではなく「思想」である以上、人がその「思想」に魅力を感じなくなったとき、(あるいは「ひろゆき」氏が魅力を感じなくなったとき)2ちゃんねるはいともたやすく崩壊し、それを止めることも誰にもできないでしょう。
2ちゃんねるから学べることはまだまだたくさんありますが、「2ちゃんねるという実験」は既に終わったと言って良いでしょう。今後は、その実験結果を個々のサイトがどう生かしていくかが問われているのではないでしょうか。私の感覚では、「はてな」もまたそうした「ポスト2ちゃんねる」サイトの一つであると思います。
(追記)
私はここまで非常に2ちゃんねるを理想化して語りましたが、本当は多分これらの言説は「今の2ちゃんねる」にではなく、(私見では)閉鎖騒動(2001/8/31)の前までの2ちゃんねるに対して捧げられているのだと思います。私が上記で「ポスト2ちゃんねる」と呼んでいるのは、従って2001/8/31以後の時代のことであり、その意味で「はてな」がまさに2001年夏にスタートしていることは非常に示唆的であります(てなことを勝手に言って、id:jkondo社長のご機嫌を損ねることになったら大変申し訳ないのですが(−−;))。
ちなみに、現在の2ちゃんねるに対して私は語る言葉を持ちません。余り語りたくもありません。一つだけ言えば、現在の2ちゃんねるは、「ポスト2ちゃんねるサイト」ではありません

「みんな、引っこしをする時がきたんだよ。とうとう閉鎖になるんだ。ぼくたちは、ひとり残らず、2ちゃんからいなくなるんだ。」
フレディは悲しくなりました。ここはフレディにとって、居心地のよい夢のような
掲示板だったからです。
2ch閉鎖危機時の名コピペ、AA」集http://www.updown.org/toku/2chheisa.htmより

このコピペを書いた人は、今、どう思っているのでしょうか……。

(追記)
http://d.hatena.ne.jp/bmp/20050318/1111147289
id:bmp様、日記でのご紹介恐縮です。m(__)m。
私の理想の政治イメージはやはり「小国寡民」なのです。つまり、bmpさんが、意識せずコミュニティを形成しているこのような状況を作り出す「はてな」というシステムが、更にうまく運営されていけばいいなぁ、と。余談ですが、仰るとおり、インターフェースの改善、更に言えばサーバーの増強、という非常に基本的なことも重要だと思います。結構忘れがちですよね(笑)


(追記2)
得意気に「2ちゃんねるは終わっている」なんて書くとこういう恥をかく羽目になる……。という自らへの反省をこめてリンクさせていただきます。
GLOCOM「2ちゃんねる時代の終焉について」
それへの返答として
ひろゆき「2ちゃんねるは終わってますよ。何度も言ってるんですがね…」

私が思いつく程度のことは、とっくに言うべき人が言ってるということですね。
というわけで以上二つは
鈴木健氏のblogから飛んで読ませて頂きました。感謝m(__)m。