ぶつ切り社会…かな?

色々考えさせられた、面白かったエントリだったのでメモ。
ぶつ切りになった社会
個人的には「自己責任」という言葉が生まれてきたのはとても最近だと思いますし、若者がデモをしなくなったのは尾崎が流行するよりずーっと前からだということは指摘しておきたいです。そもそも'70sが「シラケ世代」なんて言われた頃のことを考えれば*1、問題の発生はずいぶん前から起こっていたことになります。さらに10年後の'80sが「新人類」と呼ばれオタク第一世代をつくり、'90sはなんだろう…「バーチャルリアリティー」が世代を代表するモノのように語られ…でしょうか。でもそれって実は全部同じことなんじゃないかと思われもします。
そして振り返れば'70安保世代(全共闘世代)の人は'60年代安保世代に同じように思われてきたわけで、さらにその'60年代(学生運動世代)の人も'50年代世代も「戦争を知らない子供達」だったわけで、もっと言えば'40sがそもそも「アプレ・ゲール」なんて呼ばれた「お気楽戦後第一世代」だったわけですよね、「太陽族」の石原慎太郎東京都知事殿。
こうして振り返れば、日本の若者がかつてまじめに時代や社会にコミットしたことなんてあるのだろうか?という疑問すら湧いてきそうです。なのになぜ我々は過去に対する疚しさのようなモノを背負うのだろう?…ということの方がむしろ不思議と言えば不思議なくらいです。つまるところ我々にあるのはただ「パワーの低下」それのみではないのでしょうか。過去に学ぶことなく、「おまえらダメだなあ」と言われておとなしくそうかもしれないなあ、なんて考えてしまうというのがもう既にパワーの無さを表しているのではないかと。
確かに過去を振り返れば、過去の人々はずいぶんパワフルに「見え」ます。でも、それは「パワーがあった人が後に見えやすい」だけで、歴史の中に消え去った「普通の人々の標準」であるかどうかは疑問です。こういう比較を行う際には、歴史に対するそういう態度が必要になってくるのではないでしょうか。
……とずいぶん批判的に書いてしまいましたが、基本的に面白い問題提起であり興味深く読みました。と言ったからといって、「リンク貼ったから辿ってこられて批判ばっかりじゃ悪いなあ」とかそんなことを考えたわけではないことも付言しておきます。^^;

*1:1970年に16歳くらいだったその第一世代も、もう50を過ぎた。