最近の人気記事一覧のタイトルの日本語が…
はてなTOPには『最近の人気記事一覧』という欄があって、これが「最近ネットでどんな話題が…とチェックするのにとても便利」(by近藤社長)なわけですが、今日見るとそこにこんなエントリタイトルが。
『お前等がmacを使わないべき10の理由』(独りの超電波プログラマ)
…
まあ、エントリの内容は一種のjokeとして*1やはり少々違和感が。
日本語はオープンソース開発言語として相当練られてるから「動詞+べし」「べし+形容詞(型助動詞)」という語順で書かれるべきソースを「形容詞(型助動詞)+べし」の語順で書いても「まぁそういう人もいますからね…」ってことである程度許容される構造にはなってます(現に、意味が崩壊しているってことはないですしね。)
実際、「形容詞(型助動詞)+べし」って形の方が自由な形に見えることは事実です。「あるべき」の反対を「ないべき」と書きたい気持ちは分からないでもないですし、むしろそれをいちいち「あるべきではない」と書かなくてはいけないのは不合理に見えるでしょう。そしてもちろん歴史の中でそういう疑問の声はあがったはずなわけですが、『「べし」は動詞のあと、「ない」より前。「ない+べし」は不可。』というルールはこれまで頑なに守られてきました。それはなぜか?たとえばこんな理由なんじゃないでしょうか。
たとえば朝寝坊をしたとき同僚にこう言われたとします。
「お前、もう少し早いべきだよ」
…この場合「早い」というのは何のことを言っているのか、判断がつくでしょうか?
もう少し早く「起きる」べきなのか、もう少し早く「走る」べきなのか、どんな手段を取ってもいいからとにかく早い「時間に来社する」べきなのか。とりあえず最後のように取るとなるといくらか険悪になりかねないですよね。ところがひょっとしたら実はその同僚が言いたかったのは、『そんなギリギリの電車に乗るのではなくもう少し「早い時間の電車に乗る」べきだよ』という比較的同情心溢れるコメントだったのかもしれません。
まあこれはあくまで一案ですが、とにかく「形容詞+べし」の型を許容した際に、このような「動詞を省略」した文は必ず現れるでしょう。そしてそういう文例では、『起こるべき近未来の状況、望ましい将来の姿を叙述する』助動詞である「べし」の用例において、「近未来の状況、望ましい状態を形容詞のみで叙述する」という状況を作り出しかねない(上は要するにそういうことを言おうとした例なわけです)。それは(上に見るように)必然的に不十分な叙述になりがちで、結果深刻な誤解(エラー)を引き起こす可能性のある記法なわけですね。そのエラーを回避するために、「べしの前には必ず動詞を要請する」という使用者間での暫定ルールが作られたのではないかと思われます。
この問題を考えるときの一つの単純な考え方は、単に『「動詞+形容詞(型助動詞)」は接着度合いが強く、間に助動詞などが入る形を許容しないからだ』などと言ってみてもいいのかもしれません。しかし、更に一歩踏み込んで、それが『連続して一語の形容詞』になると考えるともっと分かりやすいのではないでしょうか。つまり「動詞+べし+形容詞(型助動詞)」は、単に強い接着をしている言葉を引き離してしまうだけでなく、「べしの前に形容詞(的連語)をおく」という禁忌も犯しているのだ、という考え方です。
「ない+べし」型叙述が、動詞ではなく形容詞的な連語を前におくことになるがゆえに、先の同僚のような叙述を不完全な叙述だと感じさせるのと同じ理由で我々に「不完全さ」を感じさせるのではないでしょうか。そしてそれは、上記のような「起こりうる誤解」を防止するためのルールなのではないでしょうか。その意味で、「動詞+ない+べし」は不自然ですよ、と指摘するのは、日本語の歴史を考えると決して「どうでもいいこと」とか「トラフィックの無駄」ではないと思います。
…なんて記事をTBしたら怒られるかな。*2
(追記)
一部根本的な勘違いに気づき、激しく修正しました。(冷汗)