恋愛には彼女が必要、なのか?

question:1151252839
いいな、こういう質問。こういう質問にだけ回答していたいな。

以下、回答。

『まず、間違いを指摘しておきます。「恋愛するために彼女が必要」なのではなく、「彼女をあらしめる為には恋愛が必要」なのです。まずあなたが「恋愛する人」にならなくてはいけません。人生を愛し太陽を愛し、宇宙の隅々までエーテルが満ち亘るように『愛』が満ちていることに気付き、風を愛し不遇を愛し、足下の草花や蟻を愛するように生きるのです。そうするとある日突然あなたは、世界が『彼女』に充ち満ちていることに気付くでしょう。
 繰り返します。そこに「彼女」がいるから恋愛するのではありません。あなたが恋愛しているからそこに「彼女」が立ち現れるのです。あなたの「彼女」は他人から観れば「タダの人」かもしれませんが、あなたにとっては定冠詞の付くこの世でただ一人の女性性(それが真の女性であるか否かに拘わらず女性的なるもの)として立ち現れてくるのです。

では、回答です。

1.「彼女」はどのように見つければいいのでしょうか。
上で述べたとおり、現在もっとも有力なのは「彼女偏在説」です。宇宙のすみずみにまで「彼女」は存在しているのです。しかし物理学者に言わせると、

「観測という行為が彼女をあらしめるのであり、『キミ、オレの彼女?』という質問が行われた瞬間にその女性が「彼女であるかないか」が決定する。そうやって決定する以前には彼女というのは確率論的にしか存在していない。

ということです。これを「シュレディンガーの彼女」仮説*1といいますが、これに関する実験には賛否両論があるので実際に試みることはオススメできません。
私としては、「彼女」を発見するために必要なのは、ただ「あなた」が恋愛することである、という仮説を取りたいと思います。

2.「彼女」と何をするのでしょうか。
人は誰か「と」何かをすることができるのでしょうか。通常二人ですることだと思われているあらゆることを彼女「と」することは、一応可能です。たとえば「デートをする」というのはなぜか一人ではできない行為ですが、二人ならばそれは可能です。しかしここで問題なのは、その相手が「彼女」である必然性は何もない、ということです。彼女でもなんでもない女性とデートすることは全く可能です。
よって、「彼女」「と」何かをする、という問題提起をするためには、それは「彼女」「と」でないとできないことでなくてはならないでしょう。しかし、「彼女」「と」でないとできないことがこの世にあるでしょうか? 実は一つもありません。たとえばいくつかの場合ありうるゴールの一つだと見なされている"結婚"ですら、あなたは「彼女」「と」結婚せずに、「彼女でも何でもないヒト」「と」結婚することが可能です!
……そこで思考の転換をおすすめします。
「彼女と何をするか」と考えるのでなく、「彼女に何ができるのか」を考えてみるのです!
彼女には色々なことができますが、そのもっとも大きな特徴は、「彼女」以外の人間に対して行った場合、良くて殴られるか悪くて警察沙汰になりそうなことをしても平気であったりするということです。もっとも、相手が「彼女」であってもできないことはありますし、また余り極端なことをすると突然「彼女」が「彼女でないもの」に変化して、合法であると思っていた行為が犯罪になったりするので注意が必要です。ただし何が「極端」でありうるかは人により異なっており一概には言えません。というわけで、具体的にどういう行為までが「大丈夫」なのかは、あなたが実際の「彼女」と話し合いながら確認して頂くのが良いのではないでしょうか。

3.私ではないにしても誰かと「恋愛」することは「彼女」の人生の中でどんな意味合いを持つのでしょうか。
「恋愛」の一般的意味についてのご質問かと思いますが、上で既に述べたように「恋愛」とはある種の「気づき」であり、多くの気づきがそうであるようにそれは人生に対して決定的な意味を持つこともあれば、ほとんど意味をなさないこともあります。また、ある恋愛(気づき)から得られる物は当然ながら相対的なものであり、対象に必ずしも依存しません。既に「気付いて」いる人もいれば、いくつもの擬似的な恋愛状態を通してもいつまでも「気付けない」人もいるわけで、どんなくだらない恋愛からでも多くの気づきを得る人もいればそうでない人もいます。
考えれば我々の人生の一日一日というのは常にそういった数多くの「気づき」を孕んでいるものではないでしょうか。そしてそのことに気付くことこそが、実はもっとも大きな「気づき」なのではないでしょうか。世界が愛と祝福に満ちていることに気付くことができれば、それは恋愛という「気づき」のもたらすもっとも大きな果実を得たことになるでしょう。「恋愛」が人生に果たすもっとも「決定的な意味」とはそこにあるのではないでしょうか。それはたとえば「食べ物の味を知る」ということに等しいでしょう。それを知らなくても死にはしませんが、知っていることは確実にその人の人生を変え、また多くの「美味」に出会えたらそれはその人の人生を豊かにする、という意味で。

*1:箱の中に女性を入れて、外から「キミ、オレの彼女?」と質問します。これに対して女性が「No」と答えるとガラス瓶が割れて中から有毒な気体が発生し、女性は死んでしまいます。「Yes」と答えると女性は生きています。実際にこの実験を行ったMITのチャールズ・デリバリー教授(2006〜)によりますと、この実験をして分かることは「Yes」と答えたはずの女性が、実際に彼女になってくれるかどうかは箱をあけてみないと分からないということである、とのことです。