日本版「オーマイニュース」創刊に思う

オーマイニュース」とは、韓国発の「市民記者によるインターネットニュースサイト」。かつてノムヒョン当選への原動力となったと噂されるなど、日本よりも先にADSLでIT化が進んだ韓国言論の中心を担うサイトの一つ。誤解を恐れずに言えば「実名2ちゃんねる」と言えば分かりやすいかな(笑)*1
オーマイニュース市民記者登録開始
開店準備ブログ
で、開店準備ブログには2ちゃんねるの一部の方々によるアタックが激しい模様。それだけに「匿名・無編集の言葉を流し続けたサイト」から「実名・編集付でニュースを流すサイト」スタイルへの危機感が強いのだろう、と感じる。これは大げさに言えば日本のネット史の転換点になるかもしれない。2ちゃんねる側からの反応が大きいほどそう感じる。


ここで少し自分の立ち位置を確認しておきたい。
自分は、ブログで物を言うスタイルに徐々に慣れつつある。かつては2ちゃんねるのニュース系板中心に出入りしていた。それは、日本の「固定ハンドルで情報交換する掲示板」がどんどん馴れ合いに堕落していく姿に失望していたからだ。2ちゃんねるの「キビシイ」言葉は、そういう日本の土壌に「馴れ合わないで意見のみを闘わせる」という風土を移入するためにかなり役立ったと思っている。しかし、「2ちゃんねる語」がクリシェになればなるほど、「2ちゃんねる語」で会話することが一つの定番になり始めた。特にVIP板を中心とする雰囲気や、「ヲチ先を荒らさない」という美風を棄てたヲチ板による炎上突撃ごっこは、かつて自分が嫌悪した「馴れ合い」を更に劣化させ下劣にしたものに過ぎないと思っている。そういうのが好きな人が多いのは知っているが、私は好きではない。2ちゃんねるもまた「馴れ合い」の場と(それも単に「汚い言葉で馴れ合う見苦しいサイト」へと)変化してしまった、と私は感じている。最近2ちゃんねるからやや身をひいて、はてな人力検索やブログに主張の場を移したのは、大体上のようなことを考えていたからだ。*2


そういう自分の目から見て、「実名・編集付ニュースサイト」の誕生というのは、なるほどタイミングとしては今かな、という気がする。昨年「ブログ元年」と言われたのも、言い換えれば2ちゃんねるに代表されてきたような「責任のない言葉の集積」への「飽き」が始まってきたからだと思う。また、意外と無視できないのが高年齢の人が徐々にネット言論の世界へと足を踏み入れ始めてきたことだ。60代、70代の人がネット言論に参加しはじめたとき、2ちゃんねるに代表されてきたような「匿名サイト」はおそらく選ばないと思う。そしてハッキリしていることは、明らかに「匿名より実名の方が強い」という事実だ。実名を晒して(しかもそれが実名であることが保証されていて)物を言うことができる人間は、それだけで信用を得やすい。たとえば、同じ程度の説得力をもった相反する意見が二つあるとき、私なら「名無し」の意見よりも「実名を晒すというリスクを払っている方」の意見を選ぶだろう。上に書いた「2ちゃんねるの一部の方の危機感」というのは、おそらく正しい。それは単に「オーマイニュースのスタンスが既にやや左寄りの位置を占めている」からではなく*3同じニュースなら「2ちゃんねる」のニュースよりも「オーマイニュース」の意見の方を取る、という時代が来るかもしれないという意味においてである。そのとき、巡回ルートを「2ちゃんねる」のニュース系の板から「オーマイ」に変える人が多数出てくるだけでなく、一旦その流れが出来れば、「2ちゃんねるのいかなる言論も偏っている」というイメージが生まれ、社会全体の「2ちゃんねる」への評価が(これまでの反動で)大きくマイナスへと傾く可能性があるからだ。現状でも既に一部で言われている「もはや単なる中高生とセンチメンタルネットウヨクの戯れる場に過ぎない」という悪口が、社会全体の評価として定着し始めたらどうなるだろうか。


私は、2ちゃんねるにも滅びて欲しくない。社会の「ホンネ」の部分を眺める場として、そして人々の「ホンネ」が必ずしもとんでもなくヒドいものではないことが確認できる場として、そして何より「ホンネ」が言える場所として、2ちゃんねるは存続すべきだと思うからだ。だから2ちゃんはオーマイと政治論で『対立』する道を選ぶべきではないと思う。なぜなら『対立』すれば「勝ち負け」が生まれ、「実名と匿名で勝ち負けを競う」のは明らかに不利だからだ。オーマイの側がそれを指摘すれば、これまで築き上げた2ちゃんの世界は崩壊の危機にさらされる。それは余りに惜しい。2ちゃんねるの人々はオーマイを生暖かく「ヲチ」し続けるのが最上だと思う。ホンネとタテマエを両立させてこそ、バランスのとれた成熟したネット社会が生まれるのではないか。


…なんて風に、両方に期待を寄せている自分は少数派なのかなあ、とも思う。「今の2ちゃんねるにそこまで期待するのは無理」と言われれば、確かにまぁそうかもしれない。子供も多いし。小・中生に2ちゃんを見せるのは事実上児童虐待だと思うが*4、そんな風に考えている親というのは余りいないのだろうか。成人雑誌なんて下らないモノを今さら規制してる場合ではないと思うのだが。


そしてまたこういう時代になったとき「ブロガー」の立ち位置はどうなるのだろうか。実名による「オーマイ」へと移行していくのか、はたまた「ブログにしかできないこと」を模索していくのか。もちろんこれは「オーマイ」が定着していくという前提で喋っているが、実際の所は余り定着せず、その結果としてやや偏ったニュースの配信に止まり、いずれ消えてゆく…なんてのが(ソフトバンクが出資しているようだが、YahooブログやYahooポイントと連動したりするのだろうか?)ありそうと言えばありそうなシナリオであるかもしれない。実際、はてなIDというのはそれなりに(実名ではないものの)信頼性がありかつプライバシーを守れる仕組みになっているし、それに基づいたはてなブックマークによる「最近の記事一覧」を読んでいれば、「オーマイ」が無くてもまぁ別に困らないよな、と思いもするし。


ただ「ネットという道具を使って、かつ責任ある言論に携われる」(ここでいう「責任」とは具体的に言えば「実名で発言できること」や「原稿料を貰うこと」そして「一貫性を保証されること」、そして「現実とリンクさせられること」など。)というのは確かに魅力である。「市民記者登録」をすべきかどうか悩んでいるが、記事を書く時間があるかどうかが悩みである。「ブログに書いたことを、記事として送る」という方法も考えたが*5、それをしたら匿名でブログやってる意味がないということにすぐ気付いたので却下。


…そんなわけで、未だに悩んでます。案ずるより産むが易し、だろうか?
とりあえず、登録したらここで(追記)で報告します。m(__)m

*1:実際は記事に編集作業なんかが入るので、2ちゃんねるとはまた違う。しかし、国民全体の広範な層からの支持や、意見の(良くも悪くもある種の)偏り具合、そして社会への影響力などが似ているような気がする

*2:この辺りの事情や考察は、既に昨年一度このブログでまとめたので、興味のある人は(そんな奇特な方がもしおられるならば)検索していただければ幸いである。

*3:これは、実名を出す以上当然だろう。実名を晒すなら未だに日本人は普通に「タテマエ」を重視するものだし、現状でも多くの場合「やや左寄り」な意見の方が「タテマエ」的には通りがよいからだ。ちなみに、私はそれが「タテマエ」である限り言論が左寄りであることは当然良いことだと思っている。つまりマスコミや政治家の公式ステートメントは「やや左寄り」が正常な立ち位置だと考えている。

*4:高校生なら、まぁもう止めても仕方ないかな、とは思う

*5:それが許されるのかどうかは分からない。確認していない。