変なおじさんの変な記事
言っちゃ悪いのですが、この記事はなんなのでしょうう?はてブで拾ったネタですが。
最近、何人かの日本の大学関係者から聞いた話である。旧国立大学での話しだが、教員が集まると話はいつもお金の話になるという。教員が減ったが、非常勤の講師も雇えず、廃止になったクラスもあるという。また、別の大学関係者は、「大学は助成金や認可を得るために学生ではなく文部科学省のほうばかりを見ている」と嘆いていた。確かに今までの大学経営はあまりにもひどすぎたが、しかし現在行なわれている大学改革が日本の大学教育の復興につながるかどうか疑問である。
優れた教育をするためには、しっかりとして財政基盤が不可欠である。欧米の大学と比べると、日本の大学の財政基盤はお寒いばかりで、それだけ資金を文科省に依存せざるをえず、独自の教育システムを構築できないのが現状ではないだろうか。文科省はそれをいいことに直接、間接教育に介入しているように思える。
ここまではまあ良いとしましょう。というか、大学のセンセイでもない私としては、これに対抗する情報もないので「そうなんですか」としか言いようがない。
で、このあとこの記事はハーバードが大学の資金をファンドに投資して独自に財政基盤を作り独自な大学運営が成功したという話に展開する。つまり日本の大学も自前で金儲けしなさいよという話になる……と思いますよね。誰だって思う。ところが結論は無い。そして最後にこの原稿についての本人のコメントが「P.S.」として書かれる。
90年代の初め、多くのアメリカの大学は学生数の減少などで苦境に立ち、それぞれが大胆な改革をし、質の向上に努めてきました。ハーバード大学のサマーズ改革の最大の特徴は、性、所得、人種などで学生の多様化を積極的に図っていることでしょう。10年後、日本の大学教育はどうなっているのでしょうか?
ちなみに、日本の教育をダメにしてきたのは文部科学省であるというのが、私の持論です。
話の流れをどう聞いても、資金を文部科学省に頼ってきた大学がダメなんじゃないかと思うんですが。個人的にはそこで文部科学省のせいにするというその発想がそもそもダメなんじゃないかと思わずにはおれません。揚げ足取りみたいで悪いけど、そこを読んで思いっきり脱力してしまいました。
こんな記事にもピクリと反応してしまうのは、なんかこう80年代後期に表れた悪平等主義*1のような奇妙な日本的光景を「戦後民主主義教育の悪影響であり、従って文部科学省と教育基本法が悪の権化」のように語って溜飲を下げる人が多いからです。アメリカはそんな風になってない、ということ一つとってもこの妙な悪平等主義こそが日本的な、あまりにも日本的な風景なのだということに気付くべきであって、そもそもきちんと原因を考えるリテラシーを持たないまま安易に権威を叩いて横並びになって安心している自分たちこそが批判している悪平等主義の権化でありみんな手をつないでゴールでみんな幸せ的発想の持ち主だとは思わないのでしょうか。思わないのでしょうね。…てな話を相方としてみたり。
…そんなことを考えつつ、通勤途上で
今読みかけてる
- 作者: E.ハーバートノーマン,大窪愿二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/09
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*1:徒競走手をつないでゴール的…それ自体は神話・伝説の類ですが、そういう雰囲気があったことは否定しない。