つじもと清美の言語センス

安倍首相の支持率が若干下がってきているという。もちろん、多少下がろうが過半数よりずっと上の方で、そもそも歴代の自民党の首相は、前のあの人を除いて軒並み支持率というのは高くないものと相場が決まっており、かといってそれが政権の基盤を揺るがすかといえば別にそんなことはないというのが永田町というものだ。小泉元首相が長期にわたって人気を得て政権の座にあったのは、別に彼に確固たる信念があったためではなく*1、彼が権力関係の流れのどこから見ても操縦可能なトリックスター的存在であったからだろう。誰もが彼を自分たちに都合のいい権力だと解釈することができた。それは彼自身がカラッポだったからに他ならない。国民の多くが彼に期待したのも、彼が勢いだけで結局何一つ言わなかったからだ。彼がまともな持論を展開し、誠実に議論の場に臨んだりしたら、あっという間に国民にそっぽを向かれただろう。その意味で、以前私は、小泉元首相が「ニヒリズムのスターだった」という話を書いた。安倍現首相が彼の真似をできないだろう、と書いたのも、安倍首相には持論がありすぎるからで、いくら政策を継承しても小泉元首相の真似などできはしない。
昨日昼のTVで安倍首相が東京国際映画祭の舞台あいさつで「映画祭を音楽祭と二度言い間違えた」ことが軽くネタにされていた。なんとか「庶民の心情を汲むことができるような親しみやすさ、気軽さのあるスター」づくりをしているつもりなのかもしれないが、同時に「小泉元首相のような『ことば』の持ち主ではない」ことが揶揄されているようで興味深かった。現代では依然として(あるいはかつて以上に)『ことば』の能力を持つ政治家は貴重である。
その意味で、どんなに叩かれてもまた芽を吹き出してくるだろう政治家の一人が辻元清美だろう。彼女のしゃべり方、スタイルが関東人からどう見えるかは分からないが、関西人の心情には強く訴えるものがある。そして『ことば』のセンスが優れている。小泉元首相が権力中枢の負のスターだとしたら、彼女は野党勢力の正のスターだ。
つじともweb「時代は変わったのではなく…」

私が憲法の重要性について発言しているときに、「時代は変わったんだ」という野次がとんだ。私は切り返す。「時代が変わったというよりも、私たちが思いをはせなきゃいけないのは、時代は繰り返すということです。ここに思いをはせた上で、憲法をとりあつかう時代であるということを共通認識にしてほしい」。この言葉を、憲法を変えたいと思っている人にもう一度伝えたい。(つじともweb)

この切り返し方は秀逸だ。「時代は変わったんだ」という品もなくひねりも無く暴力的な野次の出来の悪さが、逆に彼女の切り返しのスマートさを引き立たせており、これがその場でもし即答されたのだとしたらいっそ彼女が自作自演したのではないかと思えるほどの出来だ。この野次に感じる不潔感は、本来逆の意味であった「The Times They Are A-Changin'」を下手になぞっているように見えることで倍加されるが、*2それと比されることで辻元議員の「…and The Times Repeat Themselves.」*3という返しの警句は輝いて見える。
ただ気になるのは、blogの記事タイトルで「〜ではなく〜」と逆接にしていること。ここは「〜というよりも〜」と、『時代が変わったことを敢えて否定はしないが』という言い方の方がずっとカッコいいと思う。この発言、「時代は変わったんだ(お前の発想は古いよ)」という発言に対して「そうね、古い方向にね(あんたらもっと古臭いじゃん)」と返したところが値打ちだと思う。
委員長キャラの福島党首よりも、番長/親分キャラの彼女が社民党を変えて、もっともっと活躍してくれると政治はもっと面白くなると思うなあ…。

*1:そう勘違いしている人が多いようで驚くが、彼は「公約なんぞ守らなくても問題ではない」と放言した男であることを忘れているのではないか。彼が総理に就任してからいかにコロコロと政治方針を変えているか、ちょっと調べれば誰でも気付くことなのだが。

*2:つまり The Times They "Has Been" A-Changin' ということか。

*3:師匠、読んでおられたら英語の添削をよろしく。