小咄、あるいは『ここは日記・感想サイトではありません』という注記のようなもの

こんな小咄があるよね。

ある酒場で、一人の紳士の所に哀れそうな中年の男がやってきて『どうか金を恵んでくれ、子どもが病気なのに医者にみせる金がないんだ』と言った。紳士は哀れに思って中年の男に金を恵んでやった。しばらくして紳士の友人がやってきてその話を聞き、言った。
「そりゃあ君、欺されたんだぜ。あの男はいつもその話で小銭をせびる、この界隈じゃ有名なヤツだよ」
すると最初の紳士はホッとしたような顔で言った。
「そうか、良かった。『病気の子供』なんていなかったんだな。」*1

いい話だと思う。どうせ我々は常に自分の限られた視界の中で生きていくよりないのだし、欺されまいと狡猾になり人生を楽しむことを忘れるくらいなら、与えられた範囲内で自分の世界をしっかり見つめ、その中で後悔のない生き方を精一杯する方が素晴らしいと思うからだ。
けれど、そのことと、この詐欺師を捕まえようとすること、告発すること、ひいてはこのような詐欺師を生み出してしまう社会システムの問題点を批判し改善しようとすることは別のことだ。前者が個人的な…private私的な立場だとすれば、後者がつまり正しい意味でのofficialオオヤケの視点・論点というものだ。
「病気の子がかわいそうだ」「病気の子がいなかったというのが、何よりも良かった」……それは件の紳士が心の中でこっそり呟けばいいことだ。もし大々的にその発言を宣伝しはじめたら、もう何かが違ってしまう。オオヤケの*2場で話し合うべきことは、そういうことではないはずなのだから。*3

*1:元ネタは知りません

*2:正しい意味で

*3:こう書いても、そもそも作文と小論文の違いを理解する人が少ないのだから、余り意味のない説明のような気もしてきた。が、せっかく書いたのがもったいないのでアップする