(改題)ホワイトカラー・エグゼンプションと「幸せ」

残業代ゼロ 首相「少子化対策にも必要」(asahi.com)
残業の有無は、《残業代》に比例するのではなく《仕事の量》に比例する。「残業代が出るから家に帰らずに残業する」「残業代が出ないから家に帰る」…そんな理由で残業しているような優雅な労働者が、今の日本にどれほどいるというのか。
サービス残業の実態についてたとえばこういうページを参照してみたい。

民間最大の産業別労組「UIゼンセン同盟」(組合員約79万6,000人)は、悪質なサービス残業を行っている企業を、従業員に代わって労働基準法違反で労働基準監督署に告発する方針を決めた。同盟は02年12月、加盟する1986労組を対象にサービス残業に関する実態調査を実施したが、サービス残業が増えている理由について、「〈1〉リストラで従業員数が減り、残った従業員の仕事量が増えて残業せざるを得ない〈2〉能力給を導入した企業の従業員は、業績を上げるため残業する傾向がある〈3〉逆に、業績が伸び悩む企業は人件費を抑えようとしている」と分析している(03年2月5日付『読売新聞』)。

…というわけで、「残業代があるから残業する」わけではない。むしろ「人が足りないから、ノルマがあるから」残業が増加しているという実態が数字に表れているのだ。企業が不況下で手っ取り早く業績をあげるために、労働者の血肉を搾り上げて利益を生んでいる現状がここから見て取れるだろう。それがサービス残業の横行という現状を生んでいるわけで、そんな状況下でさらに残業代を払わなくて良いなどとする法律を作ってどうするのか。*1


いや、「どうするのか」と言われなくても本当は、こんな当たり前のことを政府のヒトが分かっていないはずはない。要するに彼らは明らかに分かってやっており、かつ「分かってやっている」とは言えないがこの点についてはオルタナティブを議論することなくどうしても実施したいから「分からないフリ」をしているだけなのだということは分かる。問題はなぜオルタナティブについて議論することを拒もうとするのかという点だ。


とりあえずこのオルタナティブ(別の選択肢)がどのようなものになるかについて考えてみる。残業を減らしたいなら、上記に従えば「ふたたび人員を増やす」道しかない。しかし当たり前だが、いきなり人をそれだけ雇えるわけではない。といって、フルタイム労働者の給料を一気に引き下げることも難しい。従ってまずはフルタイム労働者の総労働時間を切り下げ、それにともなって賃金抑制をはかる形でワークシェアリングを実施するべきだ。ただ「お金を出さないよ」ではなく、「働くな」というシステムを作らないと、サービス残業を爆発的に増加させるのが落ちである。
ただし、ワークシェアといっても、日本型組織には「多様な労働形態」の概念はやはり定着しづらい。「派遣としての職分以上の仕事はしませんと割り切る派遣」よりも、どうしても「正規社員並みに働く派遣」を企業は良しとするだろう。そしてそういう気風がある以上、派遣労働者側では果てしなく労働力をダンピングして(つまりやらなくてもいい仕事までやるとかして)自らの雇用を確保する競争に足を踏み入れざるを得なくなるからで、つまるところそれはパートタイム労働者だけの問題ではなく正規雇用者にとっても重大な問題だということになる(派遣が正規社員並に働くなら、正規社員はいらないのでは?と誰もが考えるのだから)。だから、パートタイム労働者の賃金もフルタイム労働者並に引き上げられなくてはならないし*2、パートタイムからフルタイムへの移行についても法律でしっかりと保証されなくてはならない(労働の実態がフルタイムになって一定期間が経てばフルタイムとして雇用しなくてはならない…等)し*3、その教育や能力の開発及び向上に関する支援が、国だけでなく事業者においても実施されなくてはならない*4
正規雇用の総労働時間切り下げと、非正規雇用の待遇改善。この二点をセットで行うのが、現在進められている政策に対するオルタナティブだと言える。


現在進められている「(単なる)正規雇用の賃金抑制・過重労働化」というやり方は、「正規雇用の賃金を抑制しなければ雇用を創出できない」という理屈で、その方向を目指しているのだとすればある程度理解できなくもないが、結局企業側に都合の良い理屈しか流れておらず、労働者としては反発せずにはおれないような政策になってしまっている。どうして上のオルタナティブが取れないかという理由がこのあたりから見て取れるだろう。つまり現在の政策のベースになっているのが経団連などの「企業的圧力団体」でしかないからだ*5。彼らが「企業の論理」で喋るのは当たり前なのであって、しかし「企業の論理」だけで世の中が動くはずもないのもまた自明の理である。本来はそこに「労働者の論理」をぶつけて、両者の調整によって政策が決定されていくべきなのだが、巨大な与党一党体制でこれを実施するのは無理がある。「強い野党」が必要な理由がここにある。現在の、権力一強一党集中の問題点はこういう所に表れてくる。


…と先走るのもなんなので話を戻すが、「少子化」に関して言うと、もちろん「残業が多い」だけが原因ではないことも一応指摘しておきたい。治安や住環境の異常な劣悪さ(都市『無』計画、公共サービスの切り下げ、現場を無視した無定見な医療・福祉体制…etc)や、文化・教育投資への関心の低さ(子供のために『教育環境(学校などの施設だけでなく社会全体で)を整える』という発想が皆無)、など様々な要因が指摘できよう。我々もまた動物なのだから、かように「安心して繁殖できない状況」であれば子を産み育てようというモチベーションが湧かないのはむしろ当然であるが、その対策の一つとして「労働者が家庭で過ごせるように改革する」という考え自体は間違っていないとは思う。が、現在進行中の政策はそのような結果を生み出さないだけでなく、むしろ労働の過重化と相俟って少子化を劇的に進行させるだろう。
まあ、そうやって日本人が劇的に減っていくという流れを、誰も止めるつもりはないのだろう。そして8000万人を切るくらいになれば、またじわじわ増えていくだろう。その頃には日本が崩壊している?崩壊するのは現在の暮らしやモラルや文化であって、今のところあとに残す程素晴らしい暮らしやモラルや文化を持っていない人々が何を失おうとも、別に痛くはないとも思う。そんなことより、ささやかではあるが失われてはならない物をそのような時代の中でどう守り引き継いでいくかを工夫し始めた方がよさそうだ。随分シニカルだと思われるかもしれないが、いつわらざる実感でもある。


それにしても、いずれ残業代を払おうが払うまいが崩壊するのだとしたら、残業代くらい気持ちよく払ったらどうかな?


(追記)
ちょっと追記。
上であげた二つのどちらのルートを通っても、どのみち給料は減る。それは避けられない。不況なのだから。本当は民主党なりがズバッっとそういうことを言わなくてはいけない。そして「それでも(命を削っても)金が欲しいのか、それともそうでない生き方を目指すのか。」を巨大な対立軸に据えなくてはいけない。民主党

自民が勝っても、民主が勝っても、みなさんの給料は必ず下がる!
それでも我々はみなさんを今より必ず幸せにします!

…と言えれば勝てるだろうになあ。


大学時代の友人に、つきあっている彼女の実家に行き「ボクは仕事をやめて世界一周旅行をしようと思っています。ついては娘さんを一緒に連れて行きたいので結婚したいのですが。」と言って結婚した奴がいる。アホだ。これは自分の知っている範囲内では一番無茶苦茶な挨拶だが、しかしそのぐらいデタラメな勢いがあれば人を説得できるものなのかもしれぬ。ちなみに相手の親御さんは高校教師だったそうだが、その人も相当の大物であったのだろう。*6


…まあ、あれもこれも与党主導で話を進められているような体たらくでは、次の参院選だって危ういだろうし、次の参院選民主党が躍進できないようであれば、日本は更に十年を無駄にすることになるだろう。結局、少数の優秀な官僚がプランニングし運営するという、戦後営々と築き上げられてきたこの国の政策決定システムが、今どうやら危機に瀕しているので、政治がもう少し正常化して政策決定をリードできるようにならなくてはダメなのだと思う。選挙と権力闘争のプロフェッショナルたる『政治屋』ではなく、自前で政策を企画し検討できる高い能力をもった『政治家』集団の出現を望む。


(追記2)
ホワイトカラー・エグゼンプションの導入を阻害しているのは経営側である(想像力はベッドルームと路上から)

池田信夫 blog 労働は時間ではない
このエントリに対する反論その①
ホワイトカラー・エグゼンプション導入の意図に関しては池田氏の言う通りだろう。本当にその目的通りに運用されるのであれば。
また、確かに反対している議員などがどこまで現在の労働現場の実態を把握しているかは怪しい。
だが、この問題の鍵は、ホワイトカラー・エグゼンプションの制度設計や導入目的にあるのではない。全然違う。
労使間で交わす契約の履行の問題、即ち企業側のコンプライアンスの欠如こそが、この制度の導入を阻害している最も大きな要因なのだ。

シャープな見解だなあ…。


池田氏がブログで言うような「時間=賃金、という考えはオカシイ」という主張それ自体はもっともだが、しかし引用先著者と同じくそれに素直に同意できない。引用先筆者が言うような労使関係の適正化は、今後の日本社会の大きな課題だ。


ちなみに、日本の会社では長らく成果給という概念が定着しにくく(横並び意識が強く)、ために
「仕事できる→仕事まわす→残業」
または
「仕事できない→閑職にまわす(窓際化)→定時退社」
という慣行があったため(公務員社会では今でもそう)、『残業代』が『能力給』の代替をなしてきたという側面にも触れておきたい。
残業代の枠が増えることはイコール昇給を意味しないが*7、実際に支払われる額の上昇を意味し、しかも待遇差に不満が出にくい(実際に残業はしているわけだから)という意味で、『横並び社会に有効な実質能力給制度』であったという側面。それが、一面では超過勤務の横行する日本の会社風土を生んできたのだが、その『残業代』に手を突っ込んだ今回の制度改革が非常に高い反発を受けた理由はその辺りにもあるように思われる。

*1:にも関わらず、労働政策審議会では昨年末…2006年12月27日にひっそり(?)と「導入を適当とする」という報告書をまとめたようで、これが基本路線になるのでしょう。

*2:同一労働同一賃金

*3:正規雇用への移行

*4:能力の開発育成…長期非正規雇用が不利にならないシステムづくり

*5:もっと言えば外資とその背後にアメリカさんがいるわけだが

*6:本人のその後の弁によると、自分の娘の彼氏がそんなことを言い出したら追い返すと言っていた。ン十年たてば彼もそれなりに社会人としての良識を持ちあわせるようになったわけだが、とりあえず申込時点でその程度の良識を持ちあわせなかったことは彼の為に喜びたい。人生に一度や二度の暴挙というのはあるべきである。

*7:従ってまたボーナスや退職金とも連動しないが