一人の書き手として胸に手を当てて自戒する〜毎日vsがんだるふ氏問題についての佐々木氏のエントリについて

毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題
を読んだ。はてブでも例によって[これはひどい]タグがいっぱいついている。義憤にかられる人がなるほど沢山うまれそうな記事だ。思いっきり「物語」を用意し「取材」という名で失言を誘って記事を仕上げ追究されれば「見解の相違」で逃げ切る、という余りにも無責任なやり口!
そんなわけで前半を読んだ時は私も「毎日新聞=既存メディア=横暴」という図式をしっかり心に刻みつけそうになった。


が。

後半を読んでいきなりその気分は急速にしぼむことになる。
前半を受けて「取材の可視化」というタイトルにある視点を持ち出した佐々木氏は、その可視化が無いメディアが滅びつつあり、ネットという「可視化」されたメディアの意見が世論となるという持論を展開し始めるのだが…

ターニングポイントは一昨年の郵政解散、そして昨年のライブドア事件あたりにあったように私は感じている。どちらの件も、ネット上の世論とマスメディア論調が著しく乖離したケースだった。堀江貴文前社長の行為はともかくとして、ライブドアという会社全体を「虚業」という言葉で切り捨ててしまうメディアの論調には、ネット業界の多くの人が違和感を感じた

この「ネット業界」というのは誰のことなのか。もちろん、ライブドアという会社への期待感がネットにあったことを否定しないが、同じくらい「虚業」と切って捨てる意見もあり、それらの人はメディアの論調を一つのパワーゲームとしては認知していたのではなかったか。
また、

郵政解散ではメディアのかなりの部分が小泉批判を展開したのにもかかわらず、しかし結果として小泉自民党は圧勝し、世論とマスメディアの論調が乖離していることを明確に浮き彫りにする結果となった。

…についても、小泉個人のダンスパートナーとして一緒に踊っていた当時のTVメディアを全く無視した意見で、それに対して新聞がバランスを取ろうと*1したとしても、それが佐々木氏の言うような意味で問題なのかどうか(それともTVメディアは"視聴率"に基づいて佐々木氏の考える『大衆の声』を反映しているから無条件で善なのか?)というと疑問である。そこには映像と紙という媒体の違いがもたらす役割の違いがあるに過ぎず、もちろん「紙>映像」でもなければ「紙<映像」でもない。
そもそも(自戒を込めて言うが)『中立』を保とうとするメディアの論調というのは自分の期待する論調とは逆のサイドに見えるものだ、というのは常識であって、メディアを批判する際には自分自身の立ち位置を必ず意識しておかなくてはならない。更に言えば、そこで佐々木氏の論を踏まえ「取材の過程の可視化(いかなる理由で、何を、実際にどのように取材したかを、両者の立場を均等にして公開する)」という主張を正とするならば、

この当時、ある大手週刊誌の記者を務めていた知人は、後に私にこんなふうに漏らしている。
 「郵政解散でわれわれは絶対に小泉を勝たせちゃいけないと思ったんです。それで徹底的に反小泉の論調を張り、小泉の側に立つ政治家たちの不祥事や問題を洗いざらい調べ上げた。そうやって投開票日を迎え、われわれとしては小泉自民党は選挙に負けるだろうと思いこんでいたのに、蓋を開けてみたらまったく逆の結果だったんです。その後の編集会議はまるでお通夜のようで、言葉も出ませんでした」

なぜこのような、一部の意見に過ぎない、そして佐々木氏の論調にぴったり合う「取材」内容が、検証もできないような形で出てくるのか、そしてそれを自説の補強として用いることになんの衒いも無いのか、はなはだ理解に苦しむのである。これに、上の「ネット業界」の扱い方、そしてメディアへの偏った評価を踏まえて考えれば、残念ながら私には、前半の毎日新聞批判が、最初に読んだ時のような説得力のある文章には見えなくなった。正確に言えば、そこに述べられている言論や主張の内容には首肯しつつも、書き手への信頼感を割り引いて考えれば、主張と「取材」の内容に基づいて展開される彼の記事内容に同調するのは難しいなと感じられるようになったということだ。ひらたくいえば「結論ありき」な香りを強く感じるようになってしまったということだ。
これは、彼が最初に述べているように「まだ毎日に取材していないからがんだるふ氏よりの視点になる」という問題ではなく、問題の扱い方において、彼自身が自分で批判している対象と同じ手法を(無意識に)取ってしまっているということである。がんだるふ氏が佐々木氏のこの記事をみてどう思われるかは分からないが、「我が意を得たり」と感じるなら、この件で毎日を批判するのはお門違いということになろう。「私の主張についてはよく書いて頂いていますが、毎日を批判する部分については残念な書き方になっていませんか」ということならまだ分かるが。


私は、佐々木氏の主張や指摘それ自体はそれなりに正しいと思う。しかし「取材を可視化する」というのはそれだけ難しいことであって、その難しさを背負っているという点において、新聞もネットもブログも全くかわりはない。毎日の対応は(事実をある程度割り引いてみても)批判されるべきものではあるが、佐々木氏の批判の手法も(手法それ自体だけを取ってみれば)誉められた物ではない。


佐々木氏はご自分の意見を実名+顔出しで書いておられるが、「プロの書き手にとってのPNは実名なのか否か」とか「実名だからといって論に説得力が増すわけではない」という意見と共に、「実名だからといって甘い考察が許されるわけではない」ということも申し添えておきたい。まして匿名においておや。自戒と題する所以である。

(追加訂正)
誤字一字訂正。1/27早朝。

(追記1)
ymScottさんのコメントにこちらで答えます。
なるほど。仰るとおり、私は少し元記事を読み違えていたかと思います。元記事に書かれた「虚業という批判」は、ともかくも、と留保されている堀江前社長の行った「実態を伴わないで株価だけをつり上げる」違法合法の境目にあった株価操作に対するそれだという読みをしていました。ライブドア社という会社の技術力などを無視して、ライブドア社を「所詮ネット企業(=虚業)」という意味で切り捨てたメディアがどのくらいあったかは分かりませんが、もしそう批判されたことに対して、SEやプログラマなど技術系の方が「ふざけるな」と反撥されたということなら、それは分かります。昔から言われていることですが、依然として日本の社会は「形」を持たないもの*2にお金を払う理由を心底納得していないと思われる傾向があります。
私が読み違えた理由はおそらく、この文章が「ネット上の世論とマスメディア論調が著しく乖離したケース」という話の流れで出てきたからでしょう。私はこの「ネット業界で…」という部分を、前からの流れで「ネット上の世論」という意味で読んでしまっていました(そうでないと、事例としてここに上げるのは不適切なわけですから)。「ネット上の世論」というのは(それが公平に一望できるかどうかはともかくとして)堀江批判・反批判、どちらが優勢だったという印象も私にはありません。強いて言えば、どちらの側も、TVなどの報道を冷ややかに横目で見ながら取るべき所を取り捨てるべき所を取るという論争をしていたなという印象です。それを「メディアの世論とネット上の世論が『乖離していた』」と表現するのは、事実とは少し違うのではないか、と感じました。
確かにネット上では漠然と「メディアの内容は事実そのままの報道ではなく『事実がこうあって欲しいという要望を折り込んだもの』なのだ」と感じられていたと思います。*3その意味で両者(の立ち位置)が異なるという意味でなら、私は佐々木氏の意見に賛成です。しかし、当該のエントリで佐々木氏は、あきらかに両者の(意見内容)が異なる、という意味で論を展開している*4わけで、それはちょっと事実と違うと思ったのです。


とりあえず、ご指摘であらためて元記事を見返してみると、その辺りの主語(世論形成の主体)が

「ネット上(の世論)」→「ネット業界(の多くの人が…感じ)」→「世論」→「インターネットの人たち(は皮膚感覚として感じ)」

と、少しずつ言葉をずらして書かれていることに、あらためて気付かされました。インターネットの人たちの皮膚感覚なんて、かなり危うい言葉だと思いますが、そのあたり佐々木氏がどう考えておられるのか。たとえば「これを読めばすべてわかるっていうブログはないんか?」*5
というエントリで佐々木氏は

ブログの世界はすべてがマイクロコンテンツとなっていて、何もかもが断片化されている。その断片の中から、われわれははてなブックマークRSSリーダー検索エンジンなどを使って情報を拾い集め、それらを再構成して世界認識を深めている。

…と書いていますが、断片化された情報の集積から得られるものを、臆面もなく「世界認識」と書けてしまう危うさに通底するものがそこにはあるような気がします。世界はパソコンの中だけにあるわけじゃないんですから。

*1:それにしてもバランスが取れていたのかどうかは疑わしいが

*2:ちょっとしたアイデアや、会社への忠誠心なんかは、依然タダだと思われているわけで。

*3:つまり、メディアの主張は一種の政治(パワーゲーム)である、という認知がおおむね「ネット上の世論」としてあった…ということ。そして付け加えて言えば、両者が異なるのは両者の「成り立ち」や「性質」が異なり、従って「役割」が異なるからではないかと私は思っています。「『紙>映像』でもなければ『紙<映像』でもない。」と書いたのはそういう意味です。

*4:たとえば、郵政解散でメディア=小泉批判、『世論』=小泉支持、というこの後の展開を見れば、それは否定できないと思います。

*5:「無い」というのが佐々木氏の立場なのですが。