調べ物のついでにメモ

智恵子抄」調べ物関連。
石炭は自分で焚け(「名作はあらすじだけじゃわからない」エキサイトブックス)

石炭は自分で焚け!賞
智恵子抄』(高村光太郎新潮文庫

「智恵子は東京に空がないといふ」のフレーズとともに、崇高な愛の詩集と世間が信じてやまぬ『智恵子抄』。しかし改めて読めば「繰り返しが多すぎ」(岡)な上に、「典型的な自分大好き人間」(豊)の光太郎の傲慢さが目に余る箇所多数。『金』からの引用は以下のとおり。〈智恵子よ、/夕方の台所が如何に淋しからうとも、/石炭は焚かうね。〉〈少しばかり正月が淋しからうとも、/智恵子よ、/石炭は焚かうね。〉

豊崎これ、きっと、智恵さんが石炭焚くの忘れたもんだから、指先が凍えて自分の創作活動に支障をきたしたことがあるんですよ。だもんだから、執拗に〈焚かうね〉〈焚かうね〉って。てめえで焚けっ!
岡野:二、三編ばかりは「これなら、ま、いっか」と思うような詩もあるんだけど、いかんせん駄目なものが多すぎて。(略)こんなものが愛の詩集とか言われてるんじゃ愛がかわいそうだよなあ。 (引用は上のリンク先)


うーんと。
これはちょっと違うと思います。まあ「名作をからかって遊ぶ」のは別に構わないのですが、ただ明らかな誤読に基づく悪口を公開してるのは、悪口を言う本人達にも、そして光太郎にも気の毒かな、と。


念のために、(短いので)元の詩を青空文庫から拾いましたので紹介しておきます。

  金


工場の泥を凍らせてはいけない。
智恵子よ、
夕方の台所が如何に淋しからうとも、
石炭は焚かうね。
寝部屋の毛布が薄ければ、
上に坐蒲団をのせようとも、
夜明けの寒さに、
工場の泥を凍らせてはいけない。
私は冬の寝ずの番、
水銀柱の斥候を放つて、
あの北風に逆襲しよう。
少しばかり正月が淋しからうとも、
智恵子よ、
石炭は焚かうね。


大正一五・二

一読すれば分かりますが、この「石炭は焚かうね」という言葉は、上の豊崎氏が言うような「焚くのを忘れないでね」という意味ではありません。タイトルを見ても分かるとおりこれは二人の暮らしの困窮がモチーフになっている詩なのだから、直接的には「暖房費を削らないようにしたいね」という意味でしょう。それが二人の生活の底にある思想の暗喩になっている*1、と。
この上なく分かりやすい詩だと思いますが、どうもおふざけや偏見が先に立つと見えなくなるものがあるのでしょうね。


実は最初、「ひょっとして『生活が困窮して暖房費を節約する』という生活が想像できない人が多いのか?」と、恐ろしい疑念を持ったのですが、さすがにそんなことは無いですよね?ね?

*1:食べるもの(夕方の台所)よりも、世間体(正月)よりも、二人の暮らしの温かさ(石炭を焚く身体の温かさ→心の温かさ)を大切にしようね、という意味で、と解説するだけで、なんかこうもう目茶苦茶野暮なんですが。