パンの耳と『望ましい食習慣の形成』

また聞きで申し訳ないが、TVであるタレントがメープルシロップ入りの食パンを試食して

「わあ、これなら耳まで食べられますね

…と言ったのだそうだ。
詳細は分からないしそれが誰かも分からないので、風評、都市伝説の類と思って頂いても構わないのだが、普通にパンの耳をオヤツにして食っていた者として言わせて貰うと、余り良い気持ちはしないというより激しく気分を害される話だ。食べ残すだけでなくそれを当然と思って何の反省も無い、というところにとても違和感を感じる。これは蝦のシッポが食べられないというのとはワケが違う。


そんな風に「食材がゴミ扱いされることへの不快」というのは極めて日本的感覚なのかもしれないし、時代遅れなのかもしれないけれど……と考えて、ふと、先日話題にした小学校の給食指導という奴はさぞかし大変だろうなと思った。


現在、小学校における給食指導の根拠は言うまでもなく小学校学習指導要領の以下の部分である。

第4章 特別活動
第2 内容
 A 学級活動
 学級活動においては,学級を単位として,学級や学校の生活の充実と向上を図り,健全な生活態度の育成に資する活動を行うこと。
(1) 学級や学校の生活の充実と向上に関すること。
学級や学校における生活上の諸問題の解決,学級内の組織づくりや仕事の分担処理など
(2) 日常の生活や学習への適応及び健康や安全に関すること。
希望や目標をもって生きる態度の形成,基本的な生活習慣の形成,望ましい人間関係の育成,学校図書館の利用,心身ともに健康で安全な生活態度の形成,学校給食と望ましい食習慣の形成など

学校給食は、戦後は食糧事情の理由等もあり子供に十分な栄養を与える観点から始まったわけだが、現在は単にそれに止まらず、「望ましい食習慣の形成」のために「学級」という単位の中で行う一つの教育と位置づけられているわけだ。その更に詳細な内容については学校給食法で規定されている。


中には現役の教師でありながらそれを知らないという人もいるようだ*1、つまり給食指導というのは授業の一つであり、だから教室には必ず教師がついて教師も同じものを食う。もし単なる栄養補給が目的ならば、そもそも大人に必要な栄養と子供に必要な栄養は違うのだから、教師とはいえ一労働者から、昼休みと自由な食事を奪うことなど許されるわけがない。授業と同じ存在であればこそ、教師に指導を求めることができるのである。


話が逸れていったが、この「望ましい食習慣の形成」の中味では、食パンの耳というのはどういう扱いになっているのだろうかと疑問が湧いた。小学生でも思えばパンの耳を残す奴はいたような気がするが、教師に怒られていたのではなかったろうか。現在はどうなっているのだろうか。教師になろうという人には「パンの耳が食べられない」という人はいないかというと、案外そうでもない気がするのだが……。
そう思って「小学校 給食 問題」とかでググってみたが、ヒステリックな「給食費未納問題」の記事ばかりがHITしてまたまた脱力。本当に小学校教師が苦労してるのはそんな所ではないだろうと思うんだけど、どうしてそういう記事は上がってこないのだろう。

*1:少なくとも教師代表のような顔をして意見するからには教育法規くらい読んでおいて欲しい。