小林亜星さん

小林亜星さんと言えば日本作曲家協議会会長であらせられ、かつ以前こんなニュースで話題になったことがございました。
小林亜星「どこまでも行こう」が逆転勝訴(Beats21)

66年にCMソングとして発表された「どこまでも行こう」が、92年に発表された服部克久が作曲した「記念樹」とそっくりではないかとして、前者を作曲した小林亜星(およびその音楽出版社)が訴えていた裁判で、2002年9月6日、東京高裁は、服部克久側に非があるとして1審の判断を覆し、940万円の支払いを命じた。*1


で、まあ別に今更ほじくり返すような話ではないのかもしれませんが、今日相方に指摘された話が面白かったので、40代向け小ネタとして「亜星さん、これは…」というお話をひとつ。


赤塚不二夫さんが亡くなった関連でネットの「懐かしのアニメOPED特集」を見ていた相方が「これって吉田拓郎の曲?」と質問してきたのが「ドロロンえん魔くん」のED曲「妖怪にご用心」作詞中山千夏作曲小林亜星先生、でありました。youtubeとかで探して頂けると40代以上の方は「ああ、あの曲」と思い出して頂けるかもしれません。
で、確かに今聞くと、歌い方とか雰囲気とか、どう聞いても拓郎です。オマージュかと思うくらい。というかもっっっっと具体的に言えば「ドロロンえん魔くん」がスタートした'73に発表された拓郎の比類なきライブアルバム「LIVE'73」所収の「ひらひら」という曲におそろしく似てます。雰囲気とか。特にサビの

妖怪っぽい〜妖怪っぽい〜あちらもこちらも妖怪っぽい〜

の所なんて

オイラもひらひらお前もひらひらあいつもひらひら日本中ひらひら〜」

と歌っちゃいたいくらい同じ。
やるなあ…というかやりましたなあ…亜星先生……。



とはいえ、拓郎だって「春だったね」でBob Dylanの曲を超パクっているので*2別にパクりがどうのこうのなんてことをあの時代の曲を対象に言っても仕方ないですね。
まあのどかな時代であり、そしてそういう点では良い時代だったな、と。


今日は夕立が降って、なんだかクラシックな日本の夏という感じでした。今も爽やかな風が吹き込んで来ます。そんな夕刻にちょっとノスタルジーに浸ってみたり…という小ネタでした。


は?
北京オリンピック
はいぃぃ?


何ですか?それは。*3

*1:どうでもいいけど、日本語が分かりにくいですね。要するに服部「記念樹」は亜星「どこまで…」のパクリじゃないのか!と亜星が怒ったということです。

*2:こちらのサイトとかで、「Bob Dylan 先生の "Like a Rolling Stone"と類似…」という意見が紹介されていますが、「春だったね」のパクリというかオマージュ元は、正しくはアルバム『BLONDE ON BLONDE』('66発表)所収の"Stuck Inside of Mobile With The Memphis Blues Again"という曲の方です。聴けば分かりますがハッキリ言って「メンフィス〜」に載せて最初から最後までそのまま「春だったね」が歌えます、という。いくらオマージュと主張しても、亜星先生と比較しても、明らかにこっちの方が洒落にならないレベルなんですが、これは多分大好きなDylanへの、まさにオマージュとして分かってやってる拓郎さんの「遊び」なんだと思います。拓郎自身がそう言ってるかどうかは寡聞にして知りませんが……多分ね。

*3:五輪男子サッカー日米戦を見てすっかり意気消沈したらしい……。U-22の日本代表をこれまで見てなかったので、余計に衝撃が。